レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022/05/19
- 登録日時
- 2023/01/30 00:30
- 更新日時
- 2023/05/25 14:30
- 管理番号
- 小寺池図書館 R1001097
- 質問
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解決
「女敵討ち」について
江戸時代、妻が姦通することは夫への裏切りとされ、夫が幕府に訴えると妻と相手の男も死罪とされた。また、夫が妻と相手の男を殺しても殺人にはならなかった。これも、家父長制に基づく家の名誉を守るという考えに由来するのか。女敵討ちの歴史。
- 回答
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*「女敵討ち」「妻敵討ち」とは敵討ちの一種で、夫が姦夫を討つこと。婚外性関係を法律では、古代は姦、中世は密懐、近世は密通と言った。
*平安期末頃から『今昔物語』等の説話集に妻敵討ちの例は見られる。
*鎌倉期には妻を夫の家に迎える「嫁取り婚」が増え夫婦の結びつきが強まると同時に、妻の人格的自由の拘束や家父長への従属をもたらした。
鎌倉幕府の基本法である『御成敗式目』の第三十四条は密懐の処罰法だが、妻は相手の既婚の有無に関わらず処罰され、夫は既婚者の場合のみ処罰された。しかし、処罰内容は所領没収や遠流で、妻敵討ちは明文化されていない。但し、密懐現場での妻敵討ちを肯定する慣習法は存在したといわれている。
*室町~戦国期には家父長権がさらに深まり、武士の名誉を重んじる風潮も相まって、密懐の処罰法にも変化がみられる。15世紀末の室町幕府の裁定により、密懐現場以外での妻敵討ちの場合は夫と姦夫の損失を同等にするとの理由で妻も死罪となった。この裁定は戦国大名の制定した『六角氏式目』『塵芥集』等の分国法に引き継がれる。
*江戸期には刑罰権は領主が独占したが、無礼討、敵討、妻敵討ちの三種のみ私的刑罰権として認められていた(『公事方御定書』下巻)。しかし、妻敵討ちはやがて家の恥辱、藩の外聞にかかわるとされ、18世紀末に幕府は抑制を促す教示をしている。実際不義が発覚しても流血沙汰になることは稀になり、武士なら離縁、庶民は間男からの金銭の授受による示談とするのが一般的となる。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 史料にみる日本女性のあゆみ 総合女性史研究会/編 吉川弘文館 2000.12 367.21 (中世密懐の法p.56-57)
- 室町・戦国時代の法の世界 日本史史料研究会/監修∥松園潤一朗/編 吉川弘文館 2021.7 322.14 (密懐法の真相p.199-200)
- 日本女性の歴史 総合女性史研究会/編 角川書店 1992.3 367.21 (密懐p.77-78、106-109 密通p.120-122)
- 江戸の罪と罰 平松義郎/著 平凡社 2010.12 322.15 (私的刑罰権としての妻敵討p.17、47-50)
- 不義密通 氏家幹人/著 講談社 1996.10 322.15 (江戸期の妻敵討の実際p.155-199)
- 江戸時代の罪と罰 氏家幹人/著 草思社 2021.10 322.15 (性愛の罪と罰p.188-201)
- 犯科帳のなかの女たち 妻鹿淳子/著 平凡社 1995.10 322.15 (岡山藩の武家/庶民女性の密通と妻敵討p.125-182)
- 戦国法成立史論 勝俣鎮夫/著 東京大学出版会 1979.3.322.14
- 男尊女卑 成清弘和/著 明石書店 2021.6 367.21
- 敵討の話 幕府のスパイ政治 三田村鳶魚/著∥朝倉治彦/編 中央公論社 1997.4 210.5
- 日本人の愛と性 暉峻康隆/著 岩波書店 1989.10 910.2
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 社会科学
- 内容種別
- 一般資料
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000328139