レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021年04月21日
- 登録日時
- 2023/07/09 15:12
- 更新日時
- 2023/09/23 14:14
- 管理番号
- 堺ー2023-050
- 質問
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解決
兵庫県で活躍した赤松氏がどのようにして滅んだのかについて書かれている本はあるか
- 回答
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●「赤松氏五代」(2012)p.317-p.318
「則房は関ケ原合戦で西軍に味方し、一転してその立場が危うくなる。西軍に属した則房は、その跡を断絶された。実はそのあたりの経緯も史料が乏しく、具体的なことはわかっていない。いずれにしても則房の断絶をもって、赤松氏惣領家は終焉を迎えたのである。」
●「播磨赤松一族」(2009)p.204-p.208
「その後の則房については、確かなことは分からない。大坂へ移住し死去したとも、関ヶ原の合戦で西軍に参加して自害したなど諸説ある。徳島県板野郡藍住町の福成寺境内には則房のものと伝わる供養塔があるので、各地を転々としつつも最後は同地で生涯を閉じたのかもしれない。」
とあり、則房の最期については諸説あるようである。
また、「播磨赤松一族」206pでは赤松氏が衰退した理由が考察されている。こちらも利用者にご案内した。
(東図書館)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 伝記 (28 8版)
- 参考資料
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国史大辞典編集委員会 編 , 国史大辞典編集委員会. 国史大辞典 1. 吉川弘文館, 1979.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I036401349-00 , ISBN 4642005013 -
林陸朗 [ほか]編 , 林, 陸朗, 1925-2017. 日本史総合辞典. 東京書籍, 1991.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002143283-00 , ISBN 4487731755 -
渡邊大門 著 , 渡邊, 大門. 赤松氏五代 : 弓矢取って無双の勇士あり. ミネルヴァ書房, 2012. (ミネルヴァ日本評伝選)
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I023961349-00 , ISBN 9784623064755 -
濱田浩一郎 著 , 濱田, 浩一郎. 播磨赤松一族. 新人物往来社, 2009.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000010007515-00 , ISBN 9784404035622
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国史大辞典編集委員会 編 , 国史大辞典編集委員会. 国史大辞典 1. 吉川弘文館, 1979.
- キーワード
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- 赤松氏
- 赤松則房
- 播磨
- 兵庫県
- 照会先
- 寄与者
- 備考
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「国史大辞典 1」の赤松氏の項をみると『中世播磨国の豪族武士。(中略)天正十三年(一五八五)則房死去して後嗣なく、赤松氏の嫡流は絶えた』とあり、赤松則房の代で赤松氏が滅びたことがわかる。
「日本史総合辞典」p.424 赤松氏の項には『則房が関ヶ原の戦で西軍に属し戦死、一族は断絶した
。』とある。
次に、「全項目:赤松氏」で検索すると複数冊ヒット。その中から、赤松氏の滅亡に関係しそうなものをピックアップし、上の辞典類を見せるとともに利用者に提供した。
Wikipedia「赤松氏」のページの歴代当主の項には、則房の次代の当主として、「赤松則英」が記載されている。また、Wikipedia「赤松則英」のページも作成されているが、そこには「赤松氏最後の当主とされる。阿波国住吉1万石領主。ただし、則英の存在は史料的に確認されていない。」「赤松氏13代当主・赤松則房の次男として誕生(則房と同一人物との説、養子との説あり)」とある。出典とされるデジタル版 日本人名大辞典+Plus「赤松則英」の項には、「慶長3年父の赤松則房(則房と則英は同一人物とも、養父子とも)の跡をつぎ、阿波(徳島県)住吉1万石を領有。」とある。
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000335803