レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022年07月29日
- 登録日時
- 2023/07/11 16:38
- 更新日時
- 2023/07/11 16:38
- 管理番号
- 9000040014
- 質問
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解決
御岳昇仙峡と板敷渓谷の名前の由来を知りたい。
- 回答
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・御岳昇仙峡
『中巨摩郡志』(中巨摩郡連合教育会/編 中巨摩郡連合教育会 1928年)には、仙娥滝直下の橋の上に立って左右を見れば羽化登仙の境地になることに由来するとある。
『甲斐の名勝御嶽昇仙峡と其奥』(石原初太郎/著 上田泰文堂 1930年)では、著者が昇仙峡とは仙人の住むような清浄な場所(金峰山)に登る渓谷の意味だろうと言ってる。しかし、昇仙峡という名称は、1887(明治20)年以降の命名でいつ誰がつけたかは不明であるとしている。
『日本歴史地名大系19山梨県の地名』(平凡社 1995年)、『甲府歴史ものがたり』(甲府開府500年記念誌編集委員会/編集 甲府市 2019年)、『甲斐の名勝御嶽昇仙峡と其奥』によると、渓谷に名前がなく単に「御嶽新道」と呼ばれていたものが、1887(明治20)年に「巨摩渓」と名付けられた。その後の御岳昇仙峡、昇仙峡という名称の由来等は不明であるとしている。
『山梨県地学のガイド』(田中収/編著 コロナ社 1987年)には、天正年間山岳信仰が盛んな頃、御嶽昇仙峡は金桜神社に通じる行者のための登攀道であったとある。「御嶽」の名は信仰と相まって他にも知られているが、渓谷に名付けられた例は、御嶽昇仙峡だけであろうと書かれている。
・板敷渓谷
『山梨百科事典』(山梨日日新聞社/編 山梨日日新聞社 1972年)によると、板状岩の重畳する様子がこの渓谷の起こりであろうと記載されている。
『甲斐の名勝御嶽昇仙峡と其奥』には、著者が粘板岩が板を積み重ねた如く重畳して、削れる板の如く絶壁となすを見て板敷とはうまく形容したものだと感服して、この自然に発生した名称が一番よいと思うと記載されている。
いつ、誰が等の由来は不明だが、板状岩の重畳する様子がこの渓谷の起こりであろうと思われる。
- 回答プロセス
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1.『山梨百科事典』(山梨日日新聞社/編 山梨日日新聞社 1972年)で調査→板敷渓谷の名前の由来は出ていたが、御岳昇仙峡の名前の由来は出てこない。
2.地域資料の地理分類、甲府市資料で確認する。
3.『甲府歴史ものがたり』甲府開府500年記念誌編集委員会/編集 甲府市 2019年)に参考文献が掲載されていたので、掲載資料を確認する。御岳昇仙峡の名前の由来ははっきりしないことがわかる。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (291)
- 参考資料
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山梨日日新聞社. 山梨百科事典. 山梨日日新聞社, 1972.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001214447-00 (p.46) -
日本歴史地名大系 第19巻 (山梨県の地名). 平凡社, 1995.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002463416-00 , ISBN 4582490190 (p.398) -
田中収 編著 , 田中, 収, 1933-. 山梨県地学のガイド : 山梨県の地質とそのおいたち. コロナ社, 1987. (地学のガイドシリーズ ; 19)
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001873711-00 (p.66) -
こうふ開府500年記念誌編集委員会 編 , 甲府市. 甲府歴史ものがたり : こうふ開府500年記念誌. 甲府市, 2019.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I029751805-00 (pp.27-28) -
中巨摩郡連合教育会/編 , 中巨摩郡連合教育会. 中巨摩郡志. 中巨摩郡連合教育会, 1928.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I005544695-00 (第15編史蹟・名勝誌p.27) -
石原 初太郎/著 , 石原‖初太郎. 甲斐の名勝御嶽昇仙峡と其奥. 上田泰文堂, 1930. (史蹟名勝天然記念物叢書 ; 第2冊)
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I005732208-00 (p.27,55)
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山梨日日新聞社. 山梨百科事典. 山梨日日新聞社, 1972.
- キーワード
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- 御岳昇仙峡
- 板敷渓谷
- 昇仙峡
- 地名
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000335858