レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019年11月01日
- 登録日時
- 2019/12/24 00:30
- 更新日時
- 2021/12/29 00:32
- 管理番号
- 3A19006069
- 質問
-
解決
天正年間の一時期、池田恒興が大坂城主をつとめていたと聞いたが、それはいつのことか。また、その時代の大阪城についてわかる資料があれば知りたい。
- 回答
-
池田恒興と大坂城の関係について記述のある資料を以下にご紹介します。恒興は大坂を領有していましたが、大坂城に居住していたかどうかについては、否定的な意見もあります。
天正年間(1573年~1592年)の恒興と大坂城、また、恒興の大坂領有に関連する記述があった資料を紹介します。
・恒興と大坂城について
(1) 『日本大百科全書 :2版 3 うえ-おおち』(小学館 1994)
p.913-914「大坂城」の項に、「(一五)八〇年(天正八)和議が結ばれ本願寺は石山寺を退去し、信長は池田恒興に守らせていたが、本能寺の変(一五八二)ののち、この地の経済上、地理上の位置に着目した豊臣秀吉によって翌八三年三十数か国から数万の人夫を動員して大修築工事が行われ、八五年ほぼ完成したのである。」と記述があります。
(2) 『日本歴史地名大系 28-[1] 大阪府の地名 1』(平凡社 2001.7)
p.370-378「大坂三郷」の項p.370に「天正八年(一五八〇)石山本願寺が織田信長との約一〇年に及ぶ戦闘ののち退去したが、その跡には城郭があり、織田方が四国攻めの根拠地としていた。(中略)山崎合戦後には、清洲会議が行われ、池田恒興が入城した(多聞院日記など)。」と記述があります。
(3) 『国史大辞典 1 あ-い』(国史大辞典編集委員会/編 吉川弘文館 1979.3)
p.470に「池田恒興」の項があり、「同(天正)十年本能寺の変がおこると、羽柴秀吉とともに山城に明智光秀を討ち、柴田勝家・羽柴秀吉・丹羽長秀らとともに宿老に列し、諸将への所領の充行状に連署している。また京都の施政にもあたり、大坂城を領した。」と記述があります。
(4) 『大坂城(岩波新書の江戸時代)』(岡本 良一/著 岩波書店 1993.7)
「第三章 大坂築城」に以下の記述があります。
p.35「ともかく、大坂城は池田恒興の手に入った。しかし恒興は大坂城を居城とはしなかったようである。一五八四年一月二〇日(天正11年12月18日付)ルイス・フロイスの手紙によると、池田恒興について「津の国のほとんど全部を領し、元荒木のであった城に居り、大坂の城をもその手に押さえていた人である」と言っている。「元荒木のであった城」というのは、荒木村重が居城としていた摂津の伊丹城のことである。(中略)堅城であったから、恒興も焼けあとの大坂城ではなくこの伊丹城を居城としていたのであろう。したがって恒興の手に入ってからの大坂城は、信長直轄時代のそれとほとんど変わることのない形態を維持したものと考えられる。」と記述があります。
(5) 『天下統一の城・大坂城(シリーズ「遺跡を学ぶ」 043)』(中村 博司/著 新泉社 2008.2)
p.23-24「第3章 豊臣秀吉の大阪築城 池田恒興の番城としての大坂城」の項p.24に「一年足らずにすぎない大坂領有の間に、恒興がどのように大坂城を整備したのかほとんどわからない。むしろ次のような証言から、恒興は伊丹城をこそ、居城としており、大坂城は信長時代と同様、守備の兵を置いて守らせていた番城にすぎなかったのではないか、との推定が可能である。」と記述があります。証言として、資料(7)にも引用されているルイス・フロイスの手紙が引用されています。
(6) 『戦国・安土桃山時代の池田氏 -池田恒興と池田輝政-』(倉敷ぶんか倶楽部/編 日本文教出版 2020.5)
「第一章 中興の祖 池田恒興(上) 伊丹城主として摂津の主要部を支配」の項、p.44に「恒興が摂津大坂城(大阪市中央区)、元助が伊丹城、輝政が尼崎城を居城としたとする説もあるが、少なくとも恒興が大坂城を居城としたというのは誤りと思われる。」と記述があります。
・恒興の大坂領有について
上記資料(2) 『日本歴史地名大系 28-[1] 大阪府の地名 1』(平凡社 2001.7)
p.385-386「東区」の項p.385に「〔近世〕本願寺跡には信長によって守備の兵が置かれ、信長の直轄地となった。天正一〇年本能寺の変によって信長が横死すると、大坂は一時池田恒興の領有となったが、翌年四月の賤ヶ岳合戦に勝利した豊臣秀吉が、翌五月池田を美濃大垣城に移して大坂を掌握した。」と記述があります。
(7) 『日本城郭史研究叢書 第8巻 大坂城の諸研究』(名著出版 1982.12)
「第二篇 豊臣時代の大坂城 豊臣氏時代の城下町大坂」のp.112-114「一 秀吉の大坂建設 秀吉の大坂掌握」p.113に「山崎合戦から十日ほどのち、尾張清洲城で行なわれた会議で、(中略)池田信輝(恒興)父子は大坂・尼崎・兵庫十二万石をというように新たな所領を得た。(中略)翌年四月、秀吉は信長部将中最有力者であった柴田勝家と、勝家と結んだ信孝を滅し、ほかの部将などの転封を行なった。池田信輝父子を美濃に移し摂津を手に入れ、」と記述があります。
(8)『大坂城の歴史と構造』(松岡 利郎/著 名著出版 1988.7)
「豊臣秀吉の大坂城」の項p.27に「天正十年六月二十七日、清洲会議で織田家の宿老・諸将が集まり信長の継嗣問題と遺領処置について協議し、(中略)大坂と尼崎は池田信輝(恒興)父子が所有することになった。しかし翌年(一五八三)四月賤ヶ嶽合戦で柴田勝家を破った秀吉は長浜に凱旋(中略)五月二十五日に池田信輝を美濃大垣城へ移させ、大坂を自らの本拠とした(『多聞院日記』)。」と記述があります。
(9) 『新修大阪市史 第3巻』(新修大阪市史編纂委員会/編集 大阪市 1989)
「第一章 城下の建設 第二節 秀吉の大坂築城 1 大坂築城に着手」のp.32に「天正十一年(一五八三)年四月、賎ヶ岳合戦で柴田勝家を破った秀吉は、五月には諸将への国割り(領国の再配分)を強行し、このときかねてからねらっていた大坂を池田恒興から取り上げ、自分の所領に組み込んだ」とあります。
(10) 『新修大阪市史 史料編第5巻 大阪城編』(大阪市 2006.12)
「第二章 大坂城とその城下町 第一節 大坂城・城下町の建設」のp.228「2 池田恒興が大坂を領有する」に『多聞院日記』からの引用「池田紀伊守ヘハ十七所・大坂取之」の記述があります。
また、本願寺退去の後、秀吉が大坂城を築城し始めるまでの期間の大坂城に関して記述のある資料は以下のとおりです。
上記資料(4) 『大坂城(岩波新書の江戸時代)』(岡本 良一/著 岩波書店 1993.7)
「第三章 大坂築城」p.33に、「天正十年春、信長様御代、大坂之御城御本丸は丹波五郎左衛門長秀殿御預り、千貫矢倉は織田七兵衛に御預け(中略)本丸を長秀、千貫矢倉を信澄と二分して預かったということは、大坂城すなわち旧石山本願寺城が、本丸と千貫矢倉のある区域、つまり本丸と二之丸の二曲輪から成っていたことを思わせる。」と記述があります。
(11) 『大坂城 -天下一の名城-(日本人はどのように建造物をつくってきたか)』(宮上 茂隆/著 草思社 2014.9)
p.20「秀吉、築城の準備にかかる」の項に、「秀吉が入城した大坂城は、石山本願寺の焼け跡を修理しただけの状態にありました。中央に本丸、その周囲に二之丸があり、空堀と水堀、そして土塁に囲まれた城でした。」と記述があります。
- 回答プロセス
-
1.当館所蔵検索を件名“池田恒興”で検索、資料(6)を確認
2.商用データベース「JapanKnowledge」を全文検索でキーワード“池田恒興 大阪城”“池田恒興 大坂城”を検索、資料(1)(2)(3)を確認
3.資料(1)の参考文献である資料(7)を確認
4.当館大阪コーナーにて、大坂城に関する資料(4)(5)(8)(11)を確認
5.当館データベース「大阪関係資料目次検索」(外部非公開)をキーワード”池田恒興”で検索、資料(9)(10)を確認
- 事前調査事項
- NDC
-
- 日本史 (210 9版)
- 日本の建築 (521 9版)
- 参考資料
-
- 当館書誌ID <0000451696> 日本大百科全書 :2版 3 うえ-おおち 小学館 1994 9784095261034 資料(1)
- 当館書誌ID <0010176189> 日本歴史地名大系 28-[1] 大阪府の地名 1 平凡社 2001.7 資料(2)
- 当館書誌ID <0000166992> 国史大辞典 1 あ-い 国史大辞典編集委員会/編 吉川弘文館 1979.3 9784642005012 資料(3)
- 当館書誌ID <0000339800> 大坂城(岩波新書の江戸時代) 岡本 良一/著 岩波書店 1993.7 9784000091336 資料(4)
- 当館書誌ID <0011584093> 天下統一の城・大坂城(シリーズ「遺跡を学ぶ」 043) 中村 博司/著 新泉社 2008.2 978-4-7877-0833-5 資料(5)
- 当館書誌ID <0014872405> 戦国・安土桃山時代の池田氏 -池田恒興と池田輝政-(岡山文庫 318) 倉敷ぶんか倶楽部/編 日本文教出版 2020.5 978-4-8212-5318-0 資料(6)
- 当館書誌ID <0000178805> 日本城郭史研究叢書 第8巻 大阪城の諸研究 名著出版 1982.12 資料(7)
- 当館書誌ID <0000178806> 大坂城の歴史と構造 松岡 利郎/著 名著出版 1988.7 9784626013132 資料(8)
- 当館書誌ID <0000342137> 新修大阪市史 第3巻 新修大阪市史編纂委員会/編集 大阪市 1989 資料(9)
- 当館書誌ID <0011341046> 新修大阪市史 史料編第5巻 大坂城編 大阪市 2006.12 資料(10)
- 当館書誌ID <0013222118> 大坂城 -天下一の名城-(日本人はどのように建造物をつくってきたか) 宮上 茂隆/著 草思社 2014.9 978-4-7942-2079-0 資料(11)
- キーワード
-
- 池田恒興
- 大坂城
- 大阪城
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000271276