レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 登録日時
- 2010/03/01 15:58
- 更新日時
- 2010/11/15 10:42
- 管理番号
- 2009-173
- 質問
-
未解決
利根川の漢字がいつから「刀禰川」から「利根川」に変わったのか。
使われ始めた時期ではなく、漢字として変わった時期はいつか。
- 回答
-
利根川の漢字がいつから「刀禰川」から「利根川」に変わったのか、残念ながらその時期を特定することは出来ませんでした。
回答プロセスで使っている参考資料を見ると、
1200-1300年代でも「利根川」という漢字が使われていたようでもありますし、
江戸時代に「刀禰川」とされていることもあるようです。
回答プロセスで使用した参考文献等で得た情報をまとめると以下のようになります。
『万葉集』巻14(746-753年)・・・「刀禰河伯」
『撰集抄』(-1250?)・・・「利根川」
『義経記』(室町[1336-1573])・・・「利根川」
『太平記』(1368-1375?)・・・「利根河」「利根川」
『看聞日記』(1416~1448)・・・「刀禰川」
「梁川星巌」(梁星巌? 1789-1858)・・・「刀禰河」「東寧河」
「山田方谷」(1805-1877)・・・「刀禰川」
『利根川図志』(1858年)・・・「利根川」主流?
『尋常小学読本』(1910年頃)・・・「利根川」
ご自身で第一次資料を調査し、ご確認ください。
また、国土交通省の「利根川に関する資料の閲覧について」のページもご覧の上、
必要であればお問い合わせされてみてはいかがでしょうか。
(http://www.ktr.mlit.go.jp/tonejo/shiryoukan/index.html)
- 回答プロセス
-
・『日本歴史大辞典』(東京 : 河出書房 , 1968.5-1970.3)の「利根川」の項(p261)に、「古名刀禰川」とあるが、
時代についての説明はなし。
・『日本歴史地名事典』(東京 : 新人物往来社 , 1997.3)の「とねがわ【利根川】」の項には、「『万・三四一三』に
「刀禰河伯」で初見し、『義経記』には「利根川」とある。」との記載あり。
*『万・三四一三』とは『万葉集』巻十四・三四一三のこと。
・『國史大辭典』(東京 : 吉川弘文館 , 1979.3-1997.4)の「利根川」の項(第10巻, p397-398)には
「刀禰」という漢字について言及なし。利根川についての参考文献あり。
『利根川図志』、『利根川治水論考』(近代デジタルライブラリー)、『利根川治水考』など。
・『利根川事典』(東京 : 新人物往来社 , 1994.11)のp261に「利根川はなぜトネガワなのか」という項があるが、
漢字の転換期についての言及なし。p293-297に「利根川関係書誌の書誌」リストあり。
・『日本超古代地名解 : 地名から解く日本語の語源と古代日本の原像』(東京 : 彩流社 , 2004.8)に「利根川」の項(p36-39)あり。
語源はアイヌ語。漢字については、「・・・漢字をあてる時、字の選び方による変化がないとは言えない」という記述のみ。
・「JapanKnowledge+」でキーワード「利根川」を検索
→28件ヒット。内以下に「刀禰」の漢字が見られる。
・『日本歴史地名大系』
「とねがわ【利根川】茨城県:総論」>「古くは刀禰(とね)川・刀根(とね)川とも記され、
「万葉集」巻一四に「上野国の歌」として
刀禰河泊(とねがは)の川瀬も知らずただ渡り波にあふのす逢へる君かも
と詠まれ、「太平記」には「利根河」「利根川」がみえている。」
「とねがわ【利根川】群馬県:総論」>「古くは刀禰川・刀根川などと記された。「万葉集」巻一四に
「刀禰河の川瀬も知らずただ渡り波にあふのす逢へる君かも」と詠まれ、
「五代集」や「八雲御抄」に河の歌枕としてみえる。」
「とねがわ【利根川】埼玉県:総論」>「古くは刀禰川・刀根川などとも記された。「万葉集」巻一四(上野国の歌)に
「刀祢河泊(とねがは)の川瀬も知らずただ渡り波にあふのす逢へる君かも」
と詠まれ、「五代集歌枕」や「八雲御抄」に河の歌枕として登載されている。
また「看聞日記」応永三〇年(一四二三)一二月二日条に
「刀禰川東国第一大河也」と記されるように・・・」
・『日本国語大辞典』
「上代は「刀禰河」と表記。」
・『大日本地名辭書』下巻(東京 : 冨山房 , 1907.10-1909.12)の「利根川」の項(p3278-3279)
「刀禰川、發源於上毛、屈曲奔流、四十餘里、達于江都、 山田方谷
毛武分風土、一川界二州、田疇半桑樹、道路稍陵丘、偶遇江門客、日乗刀水舟、試詢程遠近、四百里長流、」
「刀禰河上口號 梁星巌
東寧河上西風急、・・・」
との引用あり。 「刀禰川」「刀禰河」の他に「東寧河」という表記もあることを確認。
また『上野名跡志』に、『義経記』に利根川は「上野國利根の庄、藤原といふ所より落ち来る」と記載あり、と書いてあるとのことなので
現物を確認すると、巻5の利根川の項の中に記載あり。(『上野名跡志』は近代デジタルライブラリーでも閲覧可)
さらに『撰集抄』に、「利根川のほとりに、無相戻と云ふ、僧住みけり」という記述があるとされる。
・「近代デジタルライブラリー」(http://kindai.ndl.go.jp/)で「刀禰川」をキーワードに検索
→2件ヒット。1件は上記の『上野名跡志』、もう1件は『國史大辭典』に参考文献として挙げられていた『利根川治水論考』。
→『利根川治水論考』の「後篇 刀禰川沢誌」を見ると、『大日本地名辭書』から上に引用した文あり(p106)。
「刀禰川、發源於上毛、屈曲奔流、四十餘里、達于江都、 山田方谷
毛武分風土、一川界二州、田疇半桑樹、道路稍陵丘、偶遇江門客、日乗刀水舟、試詢程遠近、四百里長流、」
「東寧河上口號 梁川星巌
東寧河上西風急、・・・」
※『大日本地名辭書』との違いは、 「東寧河上口號」「刀禰河上口號」、「梁星巌」「梁川星巌」の2箇所。
・『利根川治水論考』には「刀禰」の語源についても触れられている(p107)。
「・・・刀禰とは物の冠たるを称する詞なれば、大河をば刀禰ともいへるなるべし。・・・」
・『國史大辞典』に参考文献として挙げられていた『利根川図志』を見る。
→p47に「刀祢と書きたるは固より假字にて、義あるには非ず。」との記述あり。
p3に「此書が世に公にせられた安政5年・・・」とあるので、少なくとも1858年の時点では、「刀祢」は仮文字で、
「利根」が一般的に使われていた?
・「近代デジタルライブラリー」で「利根川」をキーワードに検索
→80件ヒット。明治~大正には「刀禰」より「利根」をつかうことの方が多かったことが分かる。
『尋常小学読本』(1910年頃)などにも「利根川」の漢字が使われている。
・Googleで検索→国土交通省「利根川に関する資料の閲覧について」のページ発見。
「資料閲覧の概要
「利根川」や「河川」に関する主要な一般図書が揃えられています。
明治以降、内務省および建設省が行った河川改修工事の主要な資料が揃っています。
利根川百年史の編さん史料が揃っています。 ・・・」
(http://www.ktr.mlit.go.jp/tonejo/shiryoukan/index.html [2010.3.2])
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
-
- 『日本歴史大辞典』(東京 : 河出書房 , 1968.5-1970.3) (大今図 参考室 210.03||N3)
- 『日本歴史地名事典』(東京 : 新人物往来社 , 1997.3) (大今図 参考室 291.03||Y581)
- 『國史大辭典』(東京 : 吉川弘文館 , 1979.3-1997.4) (大今図 参考室 210.03||K10)
- 『利根川事典』(東京 : 新人物往来社 , 1994.11) (大今図 3階北書庫 291.3||M613)
- 『日本超古代地名解 : 地名から解く日本語の語源と古代日本の原像』(東京 : 彩流社 , 2004.8) (大今図 3階北書庫 291.0189||F9737)
- 『大日本地名辭書』(東京 : 冨山房 , 1907.10-1909.12) (大今図 3階北書庫 291.03||D-1C)
- 『上野名跡志』([製作地不明] , [1---] [写]) (大今図 小室・貴重 291.33||T9214)
- 『利根川図志』(東京 : 岩波書店 , 1938.11) (大今図 文庫・新書 I||Y||203-1)
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 学生
- 登録番号
- 1000064193