レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022/01/26
- 登録日時
- 2022/12/11 00:30
- 更新日時
- 2022/12/12 12:28
- 管理番号
- 服部図書館R1000972
- 質問
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解決
ウジェーヌ・ドラクロワ(フランスの画家)の実父は誰なのか。また、ドラクロワの生まれる前から亡くなるまでの当時のパリの社交界の様子を知りたい(どのような有名人が出入りしていたか、ドラクロワとどのような関係であったか等)。
- 回答
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参考資料(1)p76,86に、父はナポレオン執政時代の大使シャルル・ドラクロワとされるが、近年の調べでは実の父は風貌の相似などから、当時名声の高かった大外交官タレーランであったことがほぼ明らかになってきたとの記述あり。
参考資料(2)p118~120では、ドラクロワの実際の父親はタレーランだったというのが一般の通説であるとし、顔形が酷似していたことや、ドラクロワには大層有力なパトロンが付いていて、ある得体の知れぬ勢力家から庇護を受けていたといわれることが理由になっているとしている。また、子供が生まれる少し前に、新聞『モニトゥール』紙に掲載されたシャルル・ドラクロワの手術に関する記事に、回復前の彼の不能症のことがくわしく述べられており、彼が息子の本当の父親ではありえないというようなことを、タレーランが紙上を利用して天下に吹聴したという説の記述あり。
当時の社交界の様子については、参考資料(3)の副題にある通り、1815~1845年のパリ社交集団の成立について記述あり。
参考資料(4)p140~第七章や巻末年表に、女流作家ジョルジュ・サンドとその恋人の音楽家ショパン、ドラクロワの作品を絶賛する評を書いた詩人ボードレールと交流があった旨の記述あり。また、巻末「ドラクロワと同時代のひとびと」に、著名な画家や作家の名前が挙がっており、社交界にも出入りしていたと考えられるが、p161~第八章などに、ドラクロワは兄とも師とも頼っていた画家ジェリコーの死や、恋愛での失敗、ユゴーを筆頭とする文学のロマンティスム一派との絶縁などにより孤独主義であったとの記述があるため、前述の3名以外と交流があったかは不明。
参考資料(5)のp157~「ドラクロワ」、p164~「ボードレールのドラクロワ観」、p175~「ショパンとドラクロワ」の項目に、彼らの交流の様子について記述あり。
- 回答プロセス
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「ドラクロワ」のキーワードで蔵書検索を行い、参考資料(1)(4)を確認したところ、タレーランが実父であるとされることや、ショパンと交流があったことが判明。
「タレーラン」「ショパン」「パリ」「サロン」などのキーワードを組み合わせて蔵書検索を行い、参考資料(2)(3)(5)を参照した。
- 事前調査事項
- NDC
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- 洋画 (723 10版)
- 参考資料
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- ドラクロワ ドラクロワ/画∥富永惣一/解説 新潮社 1975 723.35 (p76,86)
- タレイラン評伝 上 ダフ・クーパー/[著]∥曽村保信/訳 中央公論社 1979 289.3 , ISBN 4-12-200629-5 (p118~120)
- 優雅な生活 アンヌ・マルタン=フュジエ/[著]∥前田祝一/監訳∥前田清子/[ほか]訳 新評論 2001.5 235.065 , ISBN 4-7948-0472-5
- ドラクロワ 坂崎坦/著 朝日新聞社 1986.1 723.35 , ISBN 4-02-259395-4
- ショパンとパリ 河合貞子/著 春秋社 2001.7 762.349 , ISBN 4-393-93754-6
- キーワード
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- ドラクロワ
- ドラクロア
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 芸術・スポーツ
- 内容種別
- 一般資料
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000325477