レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022年02月08日
- 登録日時
- 2022/02/09 14:49
- 更新日時
- 2022/04/05 16:55
- 管理番号
- 北九2022中央007
- 質問
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解決
森鷗外の再婚について。森鷗外は明治35年1月4日、東京の自宅で志げと再婚しました。婚姻の届け出はいつしたのでしょうか。
- 回答
-
森鷗外「小倉日記」に以下の記載があります。
・(明治三十五年二月)二十日
迎婦の事、勅裁を仰ぐを法とす。是日文書を具して呈す。曰く。結婚願。(略)
・(明治三十五年三月)十二日
結婚願裁可の書を得たり。(略)
また、
「鷗外「ヰタ・セクスアリス」考」 長谷川泉/著 P479によれば
「「文京区改正原戸籍」によれば<明治参拾六年壱月八日森林太郎ト婚姻届出仝日入籍>となっている。」
との記述があります。
・一方、『森林太郎の戸籍・於菟の出生』山中実(「鴎外」20、森鴎外記念会)P86には、
「志げの入籍の日は明治三十六年一月十八日」である、との記述があります。
- 回答プロセス
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森鷗外が志げと再婚したのは、小倉赴任中。森鷗外の「小倉日記」で明治35年の記事を確認。1月に東京で式を挙げ、2月に婚姻願を提出し、3月に勅裁がでたことを確認。
婚姻願は、当時施行されていたに「陸軍武官結婚条例」(明治14年5月3日)基づくもの。
戸籍の婚姻届は日記中に確認できなかった。
インターネットで、「鷗外」「戸籍」などのキーワードで検索、回答の資料がヒットし回答に至った。
なお、「鷗外「ヰタ・セクスアリス」考」では、
入籍日が明治36年1月8日となっていることについて、
「結婚の実年の違いはあきらかとして、八日は、鷗外が志け(ママ)を伴って小倉に帰任した日である。」
と書いており、
戸籍記載の「明治36年」を、著者は誤記ととらえている。
一方、『森林太郎の戸籍・於菟の出生』では、
「子供が生まれてから嫁を籍に入れるのはこの時代として珍しくない」
と書かれている。
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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森鴎外 [著] , 森, 鴎外, 1862-1922. 小倉日記. 北九州森鴎外記念会, 1994.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002425746-00 -
山崎國紀 著 , 山崎, 国紀, 1933-. 評伝森鴎外. 大修館書店, 2007.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000008661811-00 , ISBN 9784469221893 -
森鴎外記念会 編 , 森鴎外記念会. 鴎外 第20号. 森鴎外記念会, 1977.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I036164474-00 -
長谷川泉著 , 長谷川, 泉. 鴎外「ヰタ・セクスアリス」考. 明治書院, 1991. (長谷川泉著作選 / 長谷川泉著, 3)
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000096-I010046615-00 , ISBN 4625531039
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森鴎外 [著] , 森, 鴎外, 1862-1922. 小倉日記. 北九州森鴎外記念会, 1994.
- キーワード
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- 森鷗外
- 森志げ
- 小倉日記
- 婚姻
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 所蔵調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000311949