レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023/02/20
- 登録日時
- 2023/03/18 00:30
- 更新日時
- 2023/03/18 00:30
- 提供館
- 宮城県図書館 (2110032)
- 管理番号
- MYG-REF-220192
- 質問
-
解決
小野義秀著『日本行刑史散策』矯正協会, 2002年のp.322に,昭和20年代の刑務所が,当時の深刻な食糧危機打開のために食糧生産作業,特に開墾・農耕に力を入れていたという旨の記載があり,この時期に刑務所により開設された大規模な泊込農場の一として,宮城県の王城寺が挙げられていました。
また,岡田昌一著『麦の花』岡田昌一, 1987年という資料にも刑務所に関する記載がありました。
これら以外で王城寺原における刑務所の泊込作業場の活動や,一般住民や行政との関わりについて記載された資料はありますか。
- 回答
-
※【 】内は当館請求記号です。
1 王城寺原の開墾における宮城刑務所の関わりについて
お問い合わせのあった資料の書誌情報は,以下のとおりです。
資料1 岡田昌一著『麦の花』岡田昌一, 1987【K611/オ5】
御照会の箇所に次のような記述がありました。
「思い出寸描」-「九 刑務所の協力」の項
・p.129「さきに触れたように宮城刑務所の協力による開墾作業は二カ年の継続であった。この間に労務員(受刑者)は炎天の下で、あるいは寒風にさらされながらの作業で実にご苦労なことであった。この労務員数は多い期間で,一五〇名ほどであったと記憶しているが,職員の方々の苦労も並大抵ではなかった様子であった。一番心配した外部的な事故発生もなかったことは職員の方々のご努力の賜物と哀心から感謝に堪えない(後略)」
・p.130に,「当時,東北行刑管区にお勤めの方で,常時王城寺原作業所において,受刑者の指導に当たっておられた」大津功氏の文章「王城寺原の開墾について(昭六一,二,三)」(筆者宛の便り)が掲載されています。
また同資料にはお問い合わせの件に関する記述がありました。
「出来ごとメモ(私の日記から)」
・p.25「昭和20年12・22(土)宮城刑務所に出向き,高木作業課長ほかと開墾作業について打ち合わせた。」
・p.26「昭和21年1・16(水)宮城刑務所係官二名来所(作業員の設営関係打合)した。」
・p.27「昭和21年1・22(火)刑務所受刑者による開墾作業開始した。」
・p.33「昭和21年5-9月 (中略)開墾工事は,次によって進捗された。(中略) (2)宮城刑務所受刑者による人力開墾。」
・p.47「昭和22年12・3(水) 宮城刑務所総員引揚げ(二カ年にわたる開墾作業において,多大の貢献があった。その員数最も多い時期で一五〇余名であった)」
「開拓の第一歩」-「十一 村づくりの基本計画(その四)」
・pp.84-85「(前略)第三に宮城刑務所の協力によって同刑務所受刑者による手開墾を実施した。当方においては旧兵舎を宿舎として,また開墾用具として唐鍬等を貸与し,その他は全部刑務所側の設営であった。昭和二十一年一月から同二十二年十二月まで二カ年間にわたり一日に最高一五〇名程度の作業員で,その実績面積約八〇ヘクタールであった。(後略)」
ほかにも以下の資料で,お問い合わせの件に関する記述がありました。
資料2 王城寺原拓友会編『王城寺原開拓史』王城寺原拓友会, 1991【K611/オ6】
「第1編 創始期<昭和23年3月まで>」-「六、営農開始」-「(イ)開拓者以外による開墾作業」-「(2)宮城刑務所囚人による開墾」の項
・p.25「昭和二十一年一月農地開発営団が開墾促進の為派遣を依頼していた宮城刑務所の囚人が旧第一廠舎に入り手作業による開墾に着手した。寺沢,上林地区,松原地区等の開墾に当り,最高の時期には一五〇名以上の囚人が作業をした。昭和二十二年十二月米軍による接収,開墾禁止によりこの囚人は引上げた。昭和二十二年十月,日の出山地区米軍により返還され開拓計画が出来次第再び日の出山地区に於て囚人による開墾作業が開始した。その資料がない為,何時まで続いたか,何程の面積を開墾したかは定かではないが相当の面積であったと推測される。『麦の花』では昭和二十一年一月から二十二年十一月まで約二ヶ年で実績面積約八十ヘクタールと記されている。当時の囚人の主食は一日五合(約七二〇g)で一般人の二倍以上であった。囚人の中には開拓者の子供に食物を与える者もあり,又囚人用の漬物等を相当量分けて貰う様なこともあり,吾々開拓者より囚人の食料の方が上等であった。」
「想い出記編」の項
・pp.183-187 日野貞夫「大衡村分の特色」-「六 浅野農場の想出 青木貞氏(談抄)」
「(前略)その頃より大衡村分の演習場も,旧兵舎より仙台刑務所の囚人が,唐鍬での人力開墾に通って来て,道路及び防風林予定地を残して各班ごとに一列横隊で開墾作業をしていた。(後略)」
・pp.190-191 小山美津子「開拓四十年をかえりみて」
「(前略)春,囚人達に開墾して貰い,作付収穫したものは,立派な種子を播いたにもかかわらず梅干位の馬鈴薯と,ズックス(茎)ばかりの大豆でした。(後略)」
・pp.203-204 尾西:飯塚とみ子「開拓当時の思い出」
「(前略)赤い服を着た囚人達が大勢で開墾をした土地(畑地とはいえない状態)に,さつま藷の苗を植えましたが,肥料がないためか,収穫は皆無という記憶が,今でも強く残っています。(後略)」
資料3 宮城刑務所編『宮城刑務所創立100周年記念 : 悠久』宮城刑務所, 1979【K326/ミ1】
「沿革」-「昭和20年9月」の項
・p.4「開墾作業実施のため、王城寺ケ原に構外泊込作業場を設置。(出役人員100人~200人。)」
「資料」-「7.構外作業の変遷」
・p.27「王城寺ケ原作業場 始期:昭和20.9 終期:昭和22.12 作業内容:開墾作業」
資料4 色麻町史編纂委員会編『色麻町史』色麻町, 1979【K231.4/シ2/イ】
「第八章 開拓と移住」-「第三節 王城寺原開拓」の項
・p.925「昭和二十一年十一月九日県開拓実施要綱を閣議決定。(中略)監守七,八人に引率された宮城刑務所の囚人数百人が,スコップを持って開墾作業に従事したのもこのころであった。(後略)」
・p.931「囚人の開墾隊がスコップで起こした畑地。」
2 王城寺原の開拓に関する資料
宮城刑務所と関わりのある記述は見当たりませんでしたが,参考までに御紹介します。
資料5 大衡村村誌編纂委員会編『大衡村誌』大衡村, 1983【K227.4/オ3-2】
・pp.986-992「五 戦後農業のあらまし」-「王城寺原開拓」
資料6 鈴木正之著『手で石を開く : 王城時原物語』鈴木正之, 1991【K611/ス3/イ】
資料7 高橋速雄著『王城時ヶ原に挑む : 一開拓者の実録手記』高橋速雄, 1992【K611/タ2】
資料8 宮城県戦後開拓史編さん委員会編『宮城県戦後開拓史』ぎょうせい, 1990【K611/ミ38】
・pp.124-127「開拓事業の実績」-「米軍による王城寺原地区の再接収について」
資料9 東北大学地域社会研究会『地域社會研究』(6), 地域社会研究会, 1954【PK201/チ】
・pp.59-65 横山弘「開拓地の開拓過程及び土地利用に現れた地域性 : 王城寺原開拓地を例として」
なお,下記の資料にあたりましたが,御依頼の件に関連する記述はありませんでした。
資料10 宮城県史編纂委員会編『宮城県史』7, 宮城県史刊行会, 1960【K201/ミ1/オ7】
資料11 宮城県史編纂委員会編『宮城県史』8, 宮城県史刊行会, 1957【K201/ミ1/エ8】
資料12 宮城県史編纂委員会編『宮城県史』9, 宮城県史刊行会, 1968【K201/ミ1/イ9】
資料13 仙台市史編さん委員会編『仙台市史』通史編8, 仙台市, 2011【K225/セ1-13/ウ8】
資料14 仙台市史編さん委員会編『仙台市史』通史編9, 仙台市, 2013【K225/セ1-13/エ9】
資料15 大和町編『大和町史』上巻, 大和町, 1975【K227.1/タ1/1】
資料16 大和町編『大和町史』下巻, 大和町, 1977【K227.1/タ1/2】
資料17 伊藤卓二ほか編『目で見る大崎・栗原の100年』郷土出版社, 2000【K230/2000.X/タ】
資料18 佐藤紀久子ほか編『大崎・栗原・遠田・加美の昭和』いき出版, 2019【K230/2019.8/タ】
資料19 加美郡教育会編『加美郡誌』再編復刻版. ヨークベニマル, 1997【K231/カ1-3/エ】
資料20 早坂亀太郎著『色麻郷土読本』石黒幸一(印刷), 1952【K231.4/ハ1/ウ】
資料21 山田野理夫著『仙台行刑小史』宮城刑務所, 1956【K326/ヤ1】
資料22 小野義秀著『宮城集治監雑考』宮城刑務所, 1983【K326/オ1】
資料23 岡田昌一著『「続」麦の花 : 吾が人生行路の回想』 岡田昌一, 2005【K611/オ5-2】
資料24 色麻村農業協同組合[編]『色麻村農協史』色麻村農業協同組合, 1977【K611/シ4】
資料25 鈴木文男編『宮城県開拓団の記録』あづま書房, 1977【K611/ス2/ウ】
資料26 宮城県農政部農地開発課編『宮城県戦後開拓史』別編, 宮城県農政部農地開発課, 1990【K611/ミ38/2】
資料27 宮城県農政部農地開発課内宮城県農地行政史編さん委員会編『宮城県農地改革史』ぎょうせい, 1991【K611/ミ39/イ】
資料28 宮城県開拓十周年記念大会編『宮城県における開拓十年の歩み』宮城県開拓十周年記念大会, [1955]【K611/1955.Y】
資料29 宮城県農業会議[編]『目で見る農地改革 : 農地改革十年の歩み』宮城県農業会議, 1955【K611/1955.Z】
資料30 宮城県開拓促進協議会編『開拓農家営農の手引』宮城県開拓促進協議会, 1956【K611/1956.3/イ】
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 刑法.刑事法 (326 9版)
- 参考資料
-
- 岡田 昌一/著. 麦の花. 岡田昌一, 1987【K611/オ5】:
- 王城寺原拓友会/編. 王城寺原開拓史. 王城寺原拓友会, 1991【K611/オ6】:
- 宮城刑務所/[編]. 悠久. 宮城刑務所, 1979.10【K326/ミ1】:
- 色麻町史編纂委員会/編. 色麻町史. 色麻町, 1979【K231.4/シ2/イ】:
- 鈴木 正之/著. 手で石を開く. 鈴木正之, 1991.12【K611/ス3/イ】:
- 高橋 速雄/著. 王城寺ケ原に挑む. 高橋速雄, 1992.6【K611/タ2】:
- 早坂 亀太郎/著. 色麻郷土読本. 石黒幸一(印刷), 1952【K231.4/ハ1/ウ】:
- 鈴木 文男/編著. 宮城県開拓団の記録. あづま書房, 1977【K611/ス2/ウ】:
- 加美郡教育会/編. 加美郡誌. ヨークベニマル, 1997.6【K231/カ1-3/エ】:
- 大衡村村誌編纂委員会/編. 大衡村誌. 大衡村, 1983【K227.4/オ3-2】:
- 大和町/編. 大和町史 上巻. 大和町, 1975.11【K227.1/タ1/1】:
- 大和町/編. 大和町史 下巻. 大和町, 1977.3【K227.1/タ1/2】:
- 山田野理夫/著. 仙台行刑小史. 宮城刑務所, 1956【K326/ヤ1】:
- 小野義秀/著. 宮城集治監雑考. 宮城刑務所, 1983【K326/オ1】:
- 宮城県戦後開拓史編さん委員会/編. 宮城県戦後開拓史. ぎょうせい, 1990【K611/ミ38】:
- 宮城県農政部農地開発課/編. 宮城県戦後開拓史 別編. 宮城県農政部農地開発課, 1990【K611/ミ38/2】:
- [色麻村農業協同組合]/編. 色麻村農協史. 色麻村農業協同組合, 1977【K611/シ4】:
- 宮城県史編纂委員会/編. 宮城県史 7. 宮城県史刊行会, 1960【K201/ミ1/オ7】:
- 宮城県史編纂委員会/編. 宮城県史 8. 宮城県史刊行会, 1957【K201/ミ1/エ8】:
- 宮城県史編纂委員会/編. 宮城県史 9. 宮城県史刊行会, 1968【K201/ミ1/イ9】:
- 宮城県農政部農地開発課内宮城県農地行政史編さん委員会/編. 宮城県農地改革史. ぎょうせい, 1991【K611/ミ39/イ】:
- 宮城県農業会議/[編]. 目で見る農地改革. 宮城県農業会議, 1955.12【K611/1955.Z】:
- 仙台市史編さん委員会/編. 仙台市史 通史編8. 仙台市, 2011.5【K225/セ1-13/ウ8】:
- 仙台市史編さん委員会/編. 仙台市史 通史編9. 仙台市, 2013.3【K225/セ1-13/エ9】:
- 宮城県開拓促進協議会/編. 開拓農家営農の手引. 宮城県開拓促進協議会, 1956.3【K611/1956.3/イ】:
- 宮城県開拓十周年記念大会/[編]. 宮城県における開拓十年の歩み. 宮城県開拓十周年記念大会, [1955.11]【K611/1955.Y】:
- 伊藤卓二[ほか]/編 坂田啓/監修. 目で見る大崎・栗原の100年. 郷土出版社, 2000.10【K230/2000.X/タ】:
- 佐藤紀久子?執筆 宍戸宏至?執筆. 大崎・栗原・遠田・加美の昭和. いき出版, 2019.8【K230/2019.8/タ】:
- 地域社会研究会 東北大学地域社会研究会. 地域社會研究 1卷1號 (1951.5)-1卷2號 (1951.9)
- 3/4號 (1952.9)-9・10輯 (1960). 地域社会研究会, 1951.5-1960.9【PK201/チ】:
- 岡田/昌一∥著. 「続」麦の花. 岡田昌一, 2005.9【K611/オ5-2】:
- キーワード
-
- 開拓 -- 宮城県 -- 歴史
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000330657