レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014/7/3
- 登録日時
- 2017/01/31 00:30
- 更新日時
- 2022/06/29 13:02
- 管理番号
- 615
- 質問
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解決
昭和41年に祇園祭の前祭(さきまつり)と後祭(あとまつり)が一本化された理由は?
- 回答
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<資料1>『祇園祭細見 山鉾篇』(松田 元/著.郷土行事の会,1977)【1106213802】
昭和41年の変革に至る経緯について、「規模の違いからとかく十七日の前祭に重点が置かれてきたのだが、大がかりな交通規制を二度行わねばならぬこと、織物関係ではわずか一週間の遅れながら冬物取引上重大な期間であること等の問題があり、御池巡行実施以後当事者間で一本化の計画が進められていた」との記述がある。(p.16)
<資料2>『函谷鉾町百年史 明治・大正そして昭和』(函谷鉾保存会,2001)【1106953118】
「前祭と後祭の合同巡行はじまる」の項で、「昭和三十八年ごろから経済の高度成長に伴い、人手不足や人件費の高騰がめだち、お祭の経費が増え、山鉾町は又々苦しい状態」「この様な変革がとられた理由には、経済的社会的な事情がいろいろ上げられる」と記されている。(p.39)
<資料3>
『日本人の忘れもの 第2部』(京都新聞社/編,京都新聞出版センター,2014)【1110359658】
後祭復活について論じる「神々を迎える心」(p136-139 祇園祭山鉾連合会顧問 深見茂/著)の章で、合同巡行以前の祭について「17日から24日までの1週間、1965年までは、氏子は一切の職業活動を中止して生活も心も神々を迎える態度に切り替えていた。」「糸偏景気華やかとなり、秋ものの仕入れに訪れた地方の得意先から、1週間も休まれては商売にならんぞ、とクレームがつき出し、町内の者たちもこの1週間を損失と思うようになりはじめたのだろう。そこへ、巡行を一日に纏めて集客増加を図る京都市の観光政策の指導に対し、渡りに舟と乗って24日を捨てた結果が、今日の17日一本化と私は考えている。」と触れられている。
<資料4>「京都新聞」2014(平成26年)7月3日-7月5日・ 朝刊 ・1頁「祇園祭 合同巡行の48年 前祭・後祭再び」(上)(中)(下)
平成26年の後祭再開に際して合同巡行を振り返る連載記事の中で、昭和41年当時の議論や状況についても取り上げられている。
【】内は当館資料コード
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 年中行事.祭礼 (386 9版)
- 近畿地方 (216 9版)
- 参考資料
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松田元 著 , 松田, 元, 1908-1998. 祇園祭細見 山鉾篇. 郷土行事の会, 1977.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001338517-00 -
函谷鉾保存会 , 函谷鉾保存会. 函谷鉾町百年史 : 明治・大正そして昭和. 函谷鉾保存会, 2001.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I065174125-00 -
京都新聞社 編 , 京都新聞社. 日本人の忘れもの : 京都、こころここに 第2部. 京都新聞出版センター, 2014.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I025191345-00 , ISBN 9784763806727 -
京都新聞社. 京都新聞. 京都新聞社, 1942.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000057426-00
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松田元 著 , 松田, 元, 1908-1998. 祇園祭細見 山鉾篇. 郷土行事の会, 1977.
- キーワード
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- 祇園祭--京都市--歴史
- 京都市--歴史--近代
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000208174