レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020/02/02
- 登録日時
- 2021/03/31 00:30
- 更新日時
- 2021/03/31 00:30
- 管理番号
- 参調 20-0029
- 質問
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解決
節分に豆をまくのはなぜか。急ぎ回答がほしい。
- 回答
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お急ぎとのことで、『年中行事大辞典』のp399-400「節分」の項から該当事項を抜粋して回答した。
節分とは二十四節気のうちの、立春・立夏・立秋・立冬のそれぞれの前日をいう。
古代以来、平安時代から江戸時代まで長きにわたって用いられてきたのが明治五年(一八七二)までの旧暦、太陰太陽暦であった。月の満ち欠けによる朔望月と太陽の一回帰年をもとにした二十四節気とがあり、新年のはじまりとして前者による正月の元旦と後者による立春との二つがあった。
一年のはじめという意味で正月と節分とはよく似た行事が多く、その特徴は、旧年に蓄積した災厄や塵芥などの禊ぎ祓えや掃き清めであり、それに清新な生命力を得る年取りと、その新しい年をよい年にしたいと願う祈願と招福である。
平安時代の宮廷行事として年頭にあたって邪気や疫鬼を追い払う行事として知られているのは、古代中国にその起源をもつ十二月大晦日の夜の追儺の行事であった。方相氏と呼ばれる…異様な扮装をした人物が悪鬼・疫鬼を追い払うという行事であった。しかしこの方相氏が異様で奇怪な姿であったために、平安時代末期から鎌倉時代・室町時代にかけては、逆にその方相氏が鬼と見なされて追い払われる形となっていった。
大晦日と節分との行事の性格上また日程上の近さもあって室町時代以降、節分の鬼やらいの行事として寺社から一般にも広まり、人々の生活の中に伝承されてきたものと考えられる。
節分といえば現在では豆まきが一般的であるが、…いま早い記録として知られているのは伏見宮貞成親王の日記『看聞御記』の記事である。応永三十二年(一四二五)は正月八日が節分で、その日に「鬼大豆打」の行事が行われたことが記されている。室町時代後期の武家の礼法を説く故実書『今川大双紙』では、「節分の夜の鬼の大豆をも御年男きん(勤)ずる也」と、豆まきの役は厄年にあたる年男が勤めるものだと記している。
『学習に役立つわたしたちの年中行事 2月』p4-11で概要を確認後、『年中行事大辞典』p399-400、『全国年中行事辞典』p251-252の「節分」の項を確認。
- 回答プロセス
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回答に記載
- 事前調査事項
- NDC
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- 年中行事.祭礼 (386 7版)
- 参考資料
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- 1 学習に役立つわたしたちの年中行事 2月 芳賀/日出男?著 クレオ 2006.4 J38/G/2
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2 年中行事大辞典 加藤/友康?編 高埜/利彦?編 吉川弘文館 2009.3 386.1/NE -
3 全国年中行事辞典 三隅/治雄?編著 東京堂出版 2007.6 386.1/Z
- キーワード
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- 節分
- 豆まき
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事項調査
- 内容種別
- その他
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000295979