レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021/03/26
- 登録日時
- 2021/03/31 00:30
- 更新日時
- 2021/03/31 00:30
- 管理番号
- 鹿県図-200074
- 質問
-
未解決
『さつま人国誌 幕末明治編2』(0131096182)p147に,“薩英戦争で,薩摩藩の船3隻(天祐丸,白凰丸,青鷹丸)が沈没し,そのマストが水上に突き出していた。”という記述がある。
この3隻の残骸がその後どうなったのか分かる資料があるか。引き揚げた記録などがあるか。
ないのであれば,今も(錦江湾に)沈んでいるということになり,貴重な観光資源になる。
沈没した場所は,薩英戦争時に英国が作成した地図に載っており,桜島の赤生原(あこうばる)付近のようだ。
漁協や潜水士協会等にも尋ねたが「そういうものがあるという話は聞いたことがない」と言われた。
- 回答
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資料1に,“蒸気機関が引き上げられた”という記述は見つけたが,“船が引き上げられた”という記述は見つけられなかった。
≪蒸気機関が引き揚げた記述あり≫
資料1 p123に,「同時にこの頃,英国側の錨ばかりではなく,桜島沖合に沈んでいた薩摩藩所有の蒸気船三隻からも,蒸気機関が引き揚げられています。」
≪燃えた・焼失などの記述あり≫
資料1 p121に,「外国から購入した高価な三隻の蒸気船を…(略)…それらに放火して沈没させた」
資料2 p49 3行目に,「先に述べし如く薩摩が最も大事にして居た豪華船三隻と云うものは焼かれてしまった」
資料3 「砲撃開始」の項p208に,「汽船は焼かれた」
資料4 p117に,「薩摩藩の蒸気船三隻も完全に破壊された」
資料5 p284に,「文久三年四月二十三日,鹿児島に廻航,青鷹丸と名付けられた(この青鷹丸は間もなく勃発した薩英戦争の際,イギリス艦隊のため焼かれた)。」
資料6 p1414に,「汽船三隻を奪って焼いた」 ※前後に船名なし
資料7 p586に,「竝蒸汽船三艘 焼亡」 ※前後に船名なし
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 1 英国人が見た幕末薩摩 宮沢/真一?編著 高城書房出版 1988.9 K24/ミ88 p121,123
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2 薩英戦争の話 鹿児島市郷土課/編 鹿児島市 1942 K24/イ42 p49 -
3 鹿児島百年 上 幕末編 南日本新聞社/編 春苑堂書店 1968 K21/ミ67/1 p208 -
4 研究ノート英国系新聞に於ける薩英戦争の報道 宮沢 真一/[著] 鹿児島経済大学 1987 K24/カ87 p117 -
5 大久保利謙歴史著作集 5 幕末維新の洋学 大久保/利謙?著 吉川弘文館 1986.8 2106/オ86/5 p284 -
6 日吉町郷土誌 上巻 日吉町郷土誌編さん委員会/編 日吉町 1982 K29326/ヒ82/1 p1414 -
7 薩藩海軍史 中巻 公爵島津家編輯所/編 薩藩海軍史刊行会 1928 K39/シ28/2 p586 -
1 鹿児島県史料 忠義公史料 第2巻 鹿児島県維新史料編さん所/編 1975. K23/カ71 -
2 小松帯刀伝 薩藩小松帯刀履歴 鹿児島県史料刊行委員会/編 鹿児島県立図書館 1980.11 K289/コ -
3 教養講座要旨集-芸香草 第10集 鹿児島県立図書館館内奉仕課/編 鹿児島県立図書館館内奉仕課 1991 K01/カ80/10 -
4 薩摩とイギリスの出会い 宮沢/真一?著 高城書房出版 1987 K24/ミ87 -
5 名越高朗日記 谷山市郷土誌編纂委員会/編 谷山市郷土誌編纂委員会 [出版年不明] K21/タ
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000296009