レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022/10/11
- 登録日時
- 2023/03/18 00:30
- 更新日時
- 2023/03/18 00:30
- 管理番号
- 台東区-10587
- 質問
-
未解決
江戸時代の天保の改革時に橋場にあった料亭、川口屋と柳屋がどこにあったか。
- 回答
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【料亭 川口】『台東区史』通史編Ⅱ(P606~)に橋場町にあり、『即席会席御料理(番付)』(弘化1844~嘉永1853年間)に東方関脇としてその名があるも、所在地についての詳細な記述はなし。『守貞謾稿』(P138)も同様。ほか、地図等にも「料亭川口」が」かきこまれているものは見当たらなかったが、矢田挿雲著『江戸から東京へ(六)』P125に「直子と忠七は、晩年料理屋「川口」をひらいて裕福になり、…後に橋場、今の有馬邸の北方にうつり、川口を屋号とし…」との記載あり。『地籍台帳・地籍地図<東京> 』第6巻P313、『五千分の一 江戸市街地図集成 大正8-11』に有馬邸の表示があるため、『天保江戸図』や『浅草橋場いまむかし』P1江戸橋場付近図等と見比べることができる。
※『即席会席御料理(番付)』は『博物館で見るぶんきょう食の文化展』P24で確認できます。
【料亭・柳屋】
『守貞謾稿』(P138)、『武江年表』2(P94)、『江戸名物酒飯手引草』(国会デジタルコレクション コマ番号19)、『下谷叢話』(岩波文庫版 P85、P110)などにその名は出てくるも、橋場とあるだけで、それ以上の詳細な情報はなく、当館所蔵の地図にも、その場所が確認できるものがなかった。
※『下谷叢話』では棹月楼(トウゲツロウ)と出てくるが、これは「棹月楼柳屋」で橋場柳屋のこと
- 回答プロセス
- 事前調査事項
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『隅田川流域を考える-歴史と文化-』P29~30に記載あり。
- NDC
- 参考資料
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- B12822648 浅草橋場いまむかし 台東区教育委員会/編 台東区教育委員会 1978.3 213.61
- B12821801 天保江戸図(復刻) 尚古堂 岡田屋嘉七 他 出版年不明 291.3
- B12680051 江戸から東京へ 第6巻 矢田挿雲/著 中央公論新社 1999.2 291.361 4-12-203359-4
- B10745757 台東区史 通史編2 台東区史編纂専門委員会/編集 東京都台東区 2000.1 213.61
- B13121893 博物館で見るぶんきょう食の文化展 文京ふるさと歴史館/編 文京区 2000.10 383.8
- B12250019 守貞謾稿 第1巻 喜多川守貞/著 東京堂出版 1992.9 382.1 4-490-30439-0
- B12063511 武江年表 2 斎藤月岑/著 平凡社 1968.7 213.6105 4-582-80118-8
- B10040721 下谷叢話 永井荷風/著 岩波書店 2000.9 919.5 4-00-310428-5
- B13235490 5千分の1江戸-東京市街地図集成より抜粋 竜泉・南千住 地図資料編纂会/編集 柏書房 1992.12 291.361
- B12189711 地籍台帳・地籍地図<東京> 第6巻 地図資料編纂会/編 柏書房 1989.3 291.36 4-7601-0475-5
- 江戸名物酒飯手引草 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2533095
- 台東区立図書館デジタルアーカイブ『東京市浅草区』 https://trc-adeac.trc.co.jp/WJ11F0/WJJS07U/1310615100/1310615100100070/mp070710/?Word=2017_chi_034 (資料ID 2017_chi_034)
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000330610