レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013年06月27日
- 登録日時
- 2013/07/08 11:05
- 更新日時
- 2013/07/08 11:16
- 管理番号
- いわき総合-地域170
- 質問
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未解決
“重の井”こと立原重次郎と安藤対馬守信正の関係について。
雑司ケ谷霊園に建立されている“重の井こと立原重次郎”の顕彰碑『重の井翁乃碑』に、「・・・安藤對馬守の恩頼を蒙りたりとてその法名を背に刻み・・・」の一節がある。
安藤対馬守信正(安藤家磐城平藩第5代藩主)と立原重次郎(天保9年神田堅大工町生まれ、現在の江戸消防記念会・第4区5番組組頭)との関係、どのような恩を安藤対馬守から受けていたのかを調査願いたい。
- 回答
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当館所蔵の当該資料について調査した結果、安藤対馬守信正と立原重次郎の関係および受けていた恩を特定するような資料の特定はできなかった。
しかし、『坂下門外の変』「12 信正の死刑廃止論」斎藤伊知郎著には、安藤対馬守が老中在任中の万延元年1月から文久2年(1862)4月までの2年間、死刑囚裁決に加判を与えなかったエピソードがみられる。
これにより、無実の死刑囚の生命を助けたとして、市井の“侠客神田川”は生命を助けられたお礼に、背に「安藤対馬守」の大文字の刺青をしたとの記載が認められた。参考までに記す。
- 回答プロセス
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当館所蔵資料の調査
【資料①】『いわき市史 第2巻 近世』:記載認められず。
【資料②】『いわき市史 第9巻 近世資料』:記載認められず。
【資料③】『安藤候史料集 全5巻』:記載認められず。
【資料④】『閣老安藤對馬守』:記載認められず。【資料⑤】『安藤對馬守と幕末』:記載認められず。
【資料⑥】『安藤対馬守の生涯』:記載認められず。
【資料⑦】『坂下門外の変』p195・196:安藤対馬守が老中在任中の文久2年(1862)4月までの2年間、死刑囚裁決に加判を与えなかったエピソードを確認。
- 事前調査事項
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雑司ヶ谷霊園に建立されている、『重の井翁乃碑』に「・・・安藤對馬守の恩頼を蒙りたりとてその法名を背に刻み・・・」の一節の確認。
- NDC
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- 日本史 (210 9版)
- 参考資料
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- 【資料①】『いわき市史 第2巻 近世』1975 いわき市 AL/210.1/1/イ 1111541817
- 【資料②】『いわき市史 第9巻 近世資料』1972 いわき市 AL/210.1/1/イ 1110736996
- 【資料③】『安藤候史料集 全5巻』1963 郷土史料双書刊行会 KS三猿/210.5/1/ア 1111447478
- 【資料④】『閣老安藤對馬守』1914 平陽社 K/289/ア/1 111211312
- 【資料⑤】『安藤對馬守と幕末』1959 山本秋広 AL/210.5/1/ヤ 1111906119
- 【資料⑥】『安藤対馬守の生涯』1956 磐城史談会出版部 AL/289/ア 1110746656
- 【資料⑦】『坂下門外の変』1982 纂修堂 AL/210.5/1/サ 1110737507
- キーワード
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- 安藤対馬守信正
- 磐城平藩
- 立原重次郎
- 重の井
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 団体
- 登録番号
- 1000133477