レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023/07/29
- 登録日時
- 2024/04/01 00:30
- 更新日時
- 2024/04/01 00:30
- 管理番号
- R1000278
- 質問
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解決
明治~大正時代の大垣市「郭町」の表記は「郭町」か「廓町」か
- 回答
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KADOKAWA出版『角川新字源』で「郭」(11画)を調べると「城壁の外囲いの意」とあり、日本固有の読みとして「くるわ」があり「廓」の書きかえ字であることがわかる。日外アソシエーツ発行『現代日本地名よみかた大辞典5』では「郭町」が岐阜県大垣市と埼玉県川越市にあり、「くるわまち」と読むことがわかる。「廓」の文字を使った町名はなかったが、平凡社発行『日本歴史地名大系47 鹿児島県の地名』にかつての鹿児島市車町が「古くは廓町と称した。」とある。
角川書店発行『角川日本地名大辞典21岐阜県』の「郭町」の欄に「明治17年~現在の町名・大字名。大垣郭町とも称し、明治22年からは大垣町の大字、大正7年からは大垣市の町名となる。」とある。大垣市文化連盟発行『水都大垣の地名』には「大垣城は水門川や牛屋川が外堀で、そこにあった石垣や土塀を郭といった。明治三年、その郭を壊し、一七年に新町名の郭町が生まれた。」とあり、大垣城周辺の町名であることがわかる。大垣市役所発行『大垣市史 上』にも「第5編 明治 大正・昭和時代」の「第三章 町治時代」の「第一節 郡治及町治」に明治12年「安八郡大垣町は三部に分ち、戸長三人を置くことに定めらる。」とあり、三部の内の一之部(20か町)に「郭町」の表記を見ることができた。
また、大垣市文化財保護協会発行の一枚地図『岐阜県大垣町全図 大正6年』で当時の町の位置と「郭」の文字を確認することができた。
現在郭町は『大垣市統計書 令和3年度版』によると1丁目から4丁目まであり、人口は627人(令和3年3月31日統計)となっている。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- B12177460 角川新字源 小川環樹/編 KADOKAWA 2017.10 813.2 978-4-04-400333-3 (P1388)
- B10131184 現代日本地名よみかた大辞典 5 9-11画 日外アソシエーツ株式会社編 日外アソシエーツ 1985 481690462X (P8084)
- B10275325 日本歴史地名大系 47 平凡社 1998.7 291.0189 4-582-49047-6 (P162)
- B10098907 角川日本地名大辞典 21 「角川日本地名大辞典」編纂委員会/著 角川書店 1980.9 291.0189 (P315)
- B10539399 水都大垣の地名 大垣市地名研究会/編著 大垣市文化連盟 2003 291.0189 P59
- B11746263 大垣市史 上 大垣市役所 1930.1 215.3 (P911)
- B12531695 岐阜県大垣町全図 大正六年 大垣市文化財保護協会 大垣市文化財保護協会 2021.6 291.53
- B12614976 大垣市統計書 令和3(2121)年度版 大垣市企画部政策調整課統計調査係/編 大垣市役所 2021.3 351.53
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事項調査
- 内容種別
- 事項調査
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000348435