レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023/07/19
- 登録日時
- 2024/02/06 00:30
- 更新日時
- 2024/02/06 00:30
- 管理番号
- 中央図書館R1001340
- 質問
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解決
「高槻街道」というものはあるか。
阪急十三駅の近くに『高槻街道』と書かれた踏切がある。
なぜその名前がついたか知りたい。
- 回答
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「高槻街道」は以下参考資料(1)~(3)などにより確認できた。
明治25年以降は茨木市(宇野辺辺り)から高槻市(安満で西国街道に合流)を高槻街道と呼ぶようになったが、それ以前は大阪市高麗橋から高槻市安満までにその名称がついていたようだ。
そこで複数の資料を参考に高麗橋からの街道をたどってみたところ、阪急十三駅周辺は通らない。駅の踏切にその表示がある理由は、わからない。
ただ、地域のコミュニティー紙「きつつき」に街道を紹介する記事があった(2017年3~8月、NO154~159、中央図書館所蔵)。
それには、「高槻街道支線」というものが書かれており、その街道は淀川右岸を通り 三島江を経て鳥飼大橋を過ぎ大阪方面に向かい、そこで地図は途切れている。
この道が高槻街道支線として、もしかすると十三駅の近くまで続いていたのかもしれないと推測する。
- 回答プロセス
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参考資料(1)、(2)、また(3)『角川日本地名大辞典』の「高槻」の項目より亀岡街道の一部が高槻街道であることを確認。
「大阪から高槻に至る街道。明治24年以前の「府統計書」に見えるルートは大阪高麗橋元標を起点とし、天神橋筋を北上して長柄で中津川(現新淀川)を渡り、~(中略)~明治25年に余野街道の新道完成に伴い、大阪~亀岡間を亀岡街道と称したため、同道の大阪~宇野辺間は亀岡街道とされ、高槻街道は宇野辺~安満間の2里35町のみを指すようになった(府誌4)。」
阪急十三駅が完成したのは、大正9年。
- 事前調査事項
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質問者は、ご自身でインターネットを使い検索されたが、何もヒットしなかったとの事。
この質問は「ラジオ大阪」番組内の身近な質問コーナーに寄せられたリスナーからの質問を、番組司会者が図書館に問い合わせされたものです。(令和5年7月31日に放送)
質問者は図書館と同時に阪急電車にも問い合わせられましたが、そちらからは「古い話なのでわからない」という返事があったそうです。
- NDC
- 参考資料
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- 高槻の道しるべ 高槻市教育委員会 1983 682.163
- 大阪の街道と道標 武藤善一郎/著 武藤善一郎∥サンライズ出版(発売) 1999.12 682.163 , ISBN 4-88325-203-5
- 角川日本地名大辞典 27 「角川日本地名大辞典」編纂委員会/編 角川書店 1983.10 291.033 , ISBN 4-04-001270-4
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 歴史・地理
- 内容種別
- 一般資料
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000345984