レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023/12/07
- 登録日時
- 2024/01/30 00:30
- 更新日時
- 2024/01/30 00:30
- 管理番号
- 台東区-10702
- 質問
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解決
①入谷の町と金魚の歴史的関係。
②入谷にあった金魚屋(問屋)についての詳細。また、いつまで店は続いていたか知りたい。
- 回答
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『台東区史 通史編2』P.518に「下谷では(中略)御徒町の御家人たちも(中略)金魚の飼育を内職とする者が増えてきた。幕末期においても、入谷は入谷田園といわれたように、水田の地であったので処々に金魚や鯉の養魚地が造られて、その飼育が盛んな土地とされた」と記載あり。
『台東区の名所と文化財』P.70に「水田や低湿地帯の多かったことは、金魚や鯉等の養殖に適し今も本区唯一養魚地として続いています。「入谷1-32-8」金魚問屋佐々木新蔵氏は四代目で初代は天保2年2月この地で金魚の養殖を始めています」と記載あり。
『坂本村文書』P.5に「佐々木家は天保2年(1831)に坂本村で金魚の養殖を始めたといわれる。入谷町166番地で金魚問屋を営業していたが、大正の初め、区画整理により現在の江戸川区一之江へ移転した」と記載あり。
『金魚と日本人』P.185に「現在江戸川区在住の佐々木家が、江戸時代の中頃から大正の初めまで、代々、入谷田園で金魚飼育一筋に盛業を営んできた」と記載あり。
『東京市商工名鑑』(大正13年刊)P.583に「金魚販売」の部に「営業者名:佐々木新蔵/営業所:入谷町166番地」及び商号の記載あり。
『東京の町を読む』P.40に「つい先頃まで幕末から続いていた金魚問屋が一軒生き残っていたが、いまはマンションが建っている」とあり、『東京都航空住宅地図帳』昭和53年版「入谷1-32-8」の住所で「金魚養殖所・佐々木商店」掲載あるが、昭和55年版では同地は「佐々木コーポ・金魚問屋(遠藤)」に変わっていることから、販売店は1978~79年まで続いていたと分かる。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
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金魚屋は問屋かもしれない。明治・大正期だが、1960-70には確実にあった。店の名は「佐々木」がついたと聞いている。場所は入谷としかわからないが1店舗しかなかった。
- NDC
- 参考資料
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- B10745757 台東区史 通史編2 台東区史編纂専門委員会/編集 東京都台東区 2000.1 213.61
- B12822717 台東区の名所と文化財 昭和41年 台東区役所区民部商工観光課/編 台東区役所 1966.3 291.3
- B12862349 坂本村文書 台東区教育委員会生涯学習課/編集 台東区教育委員会 2010.3 611.2
- B12483278 金魚と日本人 鈴木克美/著 三一書房 1997.11 666.9 4-380-97022-1
- B12794147 東京市商工名鑑 東京市商工課/編 地涌学会出版部 1924 670.35
- B12822526 東京都航空住宅地図帳(台東区) 昭和53年 公共施設地図航空/編集 公共施設地図航空 1978 291.3
- B12822476 航空住宅地図帳 台東区 昭和55年 公共施設地図航空 公共施設地図航空 1980.5 291.3
- B12089346 東京の町を読む 陣内秀信/[ほか]著 相模書房 1981.6 518.8
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000345596