レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019/02/28
- 登録日時
- 2019/03/27 00:30
- 更新日時
- 2019/04/03 12:16
- 管理番号
- 6000046101
- 質問
-
解決
過去に豊中市寺内にあった「サボテン公園」が、
① 開園していた時期
② 開園していた頃の施設の様子
③ 閉園後、跡地は福祉施設になっているがこの時の経緯
について知りたい。
- 回答
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①について
○開園
【昭和40年(1965年)としているもの】
『原野農芸博物館・服部緑地サボテン公園25年のあゆみ』pp.31-32「昭和40年11月13日サボテン公園開園式」
「広報とよなか」1992年2月号p.6「原野さんは昭和三十二年(1957)に「原野農園」を開設し、
昭和四十年(1965)にサボテン専用温室をつくり「服部緑地サボテン公園」と改称」
【昭和32年(1957年)としているもの】
『日本博物館総覧』東京堂出版1997年p.290服部緑地サボテン公園と原野農芸博物館ともに1957年とあり。
「朝日新聞」1991年12月21日朝刊p.26「サボテン公園は1957年にオープン」
○閉園 平成3年(1991)年12月20日
「朝日新聞」1991年12月21日朝刊p.26に「20日に閉園した」とある。
②について
『原野農芸博物館・服部緑地サボテン公園25年のあゆみ』に写真や見取図等あり。
サボテンの温室のほか、淡水魚水族館、栽培場、「華苑会館」(レストラン、宴会場、会議室等の入った施設)、
プール、サボテン神社、だんじり庫、博物館の図書館などがあったことが分かる。
③について
「広報とよなか」1992年2月号と「朝日新聞」1991年12月21日に記事あり
○「広報とよなか」1992年2月号p.6 市政ニュース「サボテン公園の敷地を市に寄付」
→公園経営者の原野喜一郎さんが奄美大島に建設したお年寄り向け保養施設の事業進展に伴って
サボテン公園の閉園を決め、公園の敷地を市へ寄付。原野さんの意向で跡地は市民の福祉に役立てる計画、とある。
○「朝日新聞」1991年12月21日朝刊 社会 p.26「サボテン公園閉じ、福祉の場に、80億円相当の敷地寄付【大阪】」
→原野さんの話として「公園の入場者が減り、民間施設のため税金の優遇もない。切り売りに追い込まれるよりは、
福祉施設として市民に喜んでもらえれば」とある。
- 回答プロセス
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まず『原野農芸博物館・服部緑地サボテン公園25年のあゆみ』を確認。
ここに、開園した当時の事や施設のことなどは記載があった。
閉園した時期や跡地が福祉施設になった経緯についてはほかの資料をあたる。
市政資料コーナーに「豊中市サボテン公園跡地利用基本計画(概要版)」あり。
これでは詳しい経緯が分からず。
市の施設になったということは「広報とよなか」で取り上げられているだろうと考え、
記事検索して1992年2月号に記事を発見。
ほかに新聞記事のオンラインデータベースを検索して朝日新聞1991年12月21日の記事を発見。
閉園時期を探すために博物館案内の古いものを見ていたところ、開園時期の違うものがあることを発見。
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 原野農芸博物館・服部緑地サボテン公園25年のあゆみ服部緑地サボテン公園/[編]服部緑地サボテン公園
- 日本博物館総覧大堀 哲/編著東京堂出版 (290)
- キーワード
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- 服部緑地サボテン公園(ハットリリョクチ サボテン コウエン)
- 原野喜一郎(ハラノ キイチロウ)
- 原野農芸博物館(ハラノ ノウゲイ ハクブツカン)
- 豊中(トヨナカ)
- サボテン公園(サボテン コウエン)
- サボテン(サボテン)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 庁内
- 登録番号
- 1000253774