レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013/01/27
- 登録日時
- 2013/09/01 00:30
- 更新日時
- 2024/03/30 00:35
- 管理番号
- M13032712065767
- 質問
-
俳優、語り部、作家として活躍していた沼田曜一の出身地はどこか。
- 回答
-
・①『岡山県人物・人材情報リスト 2011』によると、沼田曜一(ぬまた・よういち)は、本名は美甘正晴、生没年月日は大正13年7月19日~平成18年4月29日、日本大学専門部芸術科演劇科(昭和19年)中退、俳優で、沼田民話座や大地の劇場を主宰していたことわかる。出生地は大阪府大阪市、出身地は岡山県と記載しているが、出生地と出身地の違いは巻頭の凡例では説明されていない。
・②雑誌『Osera』(2006年8月)の「岡山シネマ人物伝 Vol.11 沼田曜一(俳優)」と題した記事には、「真庭市(旧湯原村)出身ということだが、湯原の生まれなのかそれとも本籍があっただけなのか、はっきりしない。本人の発言やプロフィールのデータに一貫性がないのだ。父親が銀行に勤めていた関係で大阪や東京に育ち、東京府立六中を卒業して一九四二年に日大専門部の映画科に入学。」と記載されている。
・「大阪市生まれ」と書かれている資料は、③『日本映画俳優全集 男優編』、④『現代人名情報事典』、⑤『日本児童文学大事典 第2巻 人名な~わ』、⑥『児童文学者人名事典 日本人編・下巻 た~わ行』である。
・「岡山県出身」と書かれている資料は、⑦『絵本 おこりじぞう』、⑧『ふるさと人間ばなし 民話に見る人間像』である。
・「岡山県生まれ」と書かれている資料は、⑨『民話劇場 1 戦争-この悲しきもの』である。
・⑩『山陽新聞』(2002年9月24日朝刊)には「新世紀おかやま人物紀行64 芸能編23 記憶に残る湯原の清流」と題して、沼田曜一のインタビュー記事が載っている。それによると、「少年時代は大阪、東京で過ごしたが、夏や正月の休みに連れて行かれた父の生家が湯原町。自分ではそこを故郷(くに)と思っている」とあり、略歴紹介には「湯原町出身」と書かれている。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 個人伝記 (289 9版)
- 参考資料
-
-
①『岡山県人物・人材情報リスト 2011』日外アソシエーツ株式会社,2010,45,51,874p,参照はp591.
②世良利和「岡山シネマ人物伝 Vol.11 沼田曜一(俳優)」『Osera』No.23,ビザビリレーションズ,2006.8,128p,参照はp123.
③『日本映画俳優全集 男優編』キネマ旬報社,1979,664p,参照はp442.
④『現代人名情報事典』平凡社,1987,1159p.参照はp754.
⑤『日本児童文学大事典 第2巻 人名な~わ』大阪国際児童文学館,1993,629p.参照はp52.
⑥中西敏夫編『児童文学者人名事典 日本人編・下巻 た~わ行』小平 出版文化研究会,1999,702p.参照はp273.
⑦四国五郎『絵本 おこりじぞう』金の星社,1979.参照は奥付.
⑧沼田曜一『ふるさと人間ばなし 民話に見る人間像』松山 愛媛県文化振興財団,1982,124p.参照は奥付.
⑨沼田曜一『民話劇場 1 戦争-この悲しきもの』立風書房,1987,272p.参照は奥付.
⑩『山陽新聞』2002年9月24日朝刊第25面.
-
①『岡山県人物・人材情報リスト 2011』日外アソシエーツ株式会社,2010,45,51,874p,参照はp591.
- キーワード
-
- 沼田曜一
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- M2013032712083165767
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 全年齢
- 登録番号
- 1000136538