レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023/07/31
- 登録日時
- 2023/09/02 00:30
- 更新日時
- 2023/11/01 13:45
- 管理番号
- 秋田-2950
- 質問
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解決
秋田市にあった「かめ座」あるいは「渡部製陶工場」について記載のある資料はあるか。赤れんが郷土館の裏積みレンガなどを製造したと聞いている。
- 回答
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以下の資料を案内。
①『日本やきもの集成 1 北海道・東北・関東』(満岡忠成/〔ほか〕編集、平凡社、1981、 751.1/ミニ/1)資料番号:110337763
②『秋田市史 第15巻 美術・工芸編』(秋田市/編集、秋田市、2000、214.5/アア/15郷)資料番号:124247305
③『角川日本陶磁大辞典』(矢部良明/編集代表、角川書店、2002、R751.1/カカ/)資料番号:124292533
④『秋田ふるさとやきもの好 見つける喜びがあふれてる』(庄内昭男/著、カッパンプラン、2006、751/シア/郷)資料番号:124367178
⑤『北国秋田山形の陶磁 陶磁選書 1』(小野正人/著、雄山閣、1973、750/オキ/郷)資料番号:124135104
⑥『あきたの工芸 秋田の宝・おらほの宝-地域の文化遺産発見-事業 お宝発見ハンドブック〜工芸技術編〜』(秋田県教育委員会/編、秋田県教育委員会、2007、750/アア/郷)資料番号:147180178
⑦『秋田公論 1号』(秋田公論社/編、秋田公論社、1934、A051/29/1)資料番号:110709730
- 回答プロセス
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1.Googleブックスにて「秋田市」「かめ座」をキーワード検索。下記資料が該当。
①『日本やきもの集成 1 北海道・東北・関東』(満岡忠成/〔ほか〕編集、平凡社、1981、 751.1/ミニ/1)資料番号:110337763
→P122 牛島瓶座の項にて「秋田市内太平側の南岸に、渡部東吉が文政二年(一八一九)に創始した牛島瓶座があった。常滑風の技法で大甕が作られ、水甕や藍甕として需要があったのと、ほかに、陶管・煉瓦をも生産したが、昭和初期に廃業している。」との記載あり。
②『秋田市史 第15巻 美術・工芸編』(秋田市/編集、秋田市、2000、214.5/アア/15郷)資料番号:124247305
→P602-P603 牛島瓶座の項に「文政二年(一八一九・文政三年説有り)秋田藩の招きにより仙台領新田郷から移住した渡部東吉が、名字帯刀を許され、現在の楢山愛宕下に開窯創業した。(中略)明治、大正期の洋風煉瓦建築史に残る赤レンガ郷土館(旧秋田銀行本店・一九一一建設)、秋田刑務所(一九一二建設)、秋田地方裁判所(一九二三~一九六八)などに使用された煉瓦の製造はもとより、建築施工を行った。」との記載あり。
2.NDC分類751(陶磁工芸)に関する書架をブラウジング。下記資料が該当。
③『角川日本陶磁大辞典』(矢部良明/編集代表、角川書店、2002、R751.1/カカ/)資料番号:124292533
→P137 牛島焼の項にて「秋田市楢山愛宕下(旧牛島町)で焼かれた陶器。(中略)主に鉄釉が用いられている。昭和初期には渡辺製陶工場として甕類のほか陶管や煉瓦を焼いたが間もなく廃業した。」との記載あり。
3.郷土資料分類750(工芸)に関する書架をブラウジング。下記資料が該当。
④『秋田ふるさとやきもの好 見つける喜びがあふれてる』(庄内昭男/著、カッパンプラン、2006、751/シア/郷)資料番号:124367178
→P85 消滅した窯の記憶の項にて牛島瓶座の窯跡についての記載あり。「秋田市牛島東三丁目から愛宕下街区公園にかけてれんがが散布していました。このれんがは明治時代から昭和の初めにかけて、金照寺山から採取した粘土で作られ、他に土管や大甕などを生産していました。主な生産であるれんがは、洋風建築として今も残る、1911年に建設された秋田銀行本店(秋田市立赤れんが郷土館)に使用されました。」との記載あり。
⑤『北国秋田山形の陶磁 陶磁選書 1』(小野正人/著、雄山閣、1973、750/オキ/郷)資料番号:124135104
→P252 牛島瓶座の項にて「この瓶座というのは、常滑風の叩きながら捲き上げる製法の、大瓶作りの窯で、秋田市の南西郊、牛島町にあった。文政二年の創業で渡辺氏の経営であった。昭和九年の秋田公論という雑誌の広告によれば、そのころは渡辺圭太郎氏の代で、陶管、瓶、煉瓦などを作っていた。わたくしがたずねた頃は、昭和三十年代であるが、牛島町の街道筋に跡はのこっていたが、もう廃業していた。瓶座の製品は水甕などで、近在にはもう残り少なくなったであろう。」との記載あり。
⑥『あきたの工芸 秋田の宝・おらほの宝-地域の文化遺産発見-事業 お宝発見ハンドブック〜工芸技術編〜』(秋田県教育委員会/編、秋田県教育委員会、2007、750/アア/郷)資料番号:147180178
→P145 あきたの陶芸の項にて「明治期の西欧建築の波に乗り牛島瓶座では煉瓦製造が盛況となり、秋田市立赤れんが郷土館(旧秋田銀行本店本館)、秋田刑務所等の建築煉瓦が焼かれた。しかし、昭和初期に煉瓦建築の衰退とともに廃業する。」との記載あり。
4.調査資料⑤に記載のあった秋田公論を確認。
⑦『秋田公論 1号』(秋田公論社/編、秋田公論社、1934、A051/29/1)資料番号:110709730
→P113 広告欄にて渡邊製陶工場を確認。
記載のなかった資料は以下のとおり。
×『秋田陶芸夜話』(小野正人/著、加賀谷書店、1979、751/オア/郷)資料番号:111332839
×『東北やきもの紀行』(宮城正俊/著、無明舎出版 1999、 750/ミト/郷 )資料番号:124280215
×『思い出のアルバム 秋田市 明治・大正篇』(無明舎出版、1984、214.5/ムオ/郷)資料番号:129645032
- 事前調査事項
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・『写真集 明治・大正・昭和 秋田 ふるさとの思い出』(今村義孝/編、国書刊行会、1980、 214.5/イフ/郷)資料番号:128639226
→P37 当時の渡部煉瓦製造所の写真あり
・『秋田の今と昔』(井上隆明/著、東洋書院、1994、290/イア/郷)資料番号:124136318
→P69 県議事堂の建設の中に渡部製陶工場についての記載あり
・『秋田市地図』(昭和初期、A291.5/137/)資料番号:110752508
→牛島地区の地図に「渡部陶器工場」の記載あり
- NDC
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- 芸術 (7)
- 参考資料
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- 日本やきもの集成1満岡 忠成/〔ほか〕編集平凡社
- 秋田市史第15巻秋田市/編集秋田市
- 角川日本陶磁大辞典矢部 良明/編集代表角川書店
- 秋田ふるさとやきもの好庄内 昭男/著カッパンプラン
- 北国秋田山形の陶磁小野 正人/著雄山閣
- あきたの工芸秋田県教育委員会/編秋田県教育委員会
- 秋田公論1号秋田公論社/編秋田公論社
- キーワード
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- 牛島瓶座(ウシジマカメザ)
- 陶磁器(トウジキ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000338124