レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022年03月20日
- 登録日時
- 2022/03/30 16:20
- 更新日時
- 2022/03/30 16:32
- 管理番号
- 0001003613
- 質問
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解決
沖縄のハジチ(入墨)の道具を紹介している書籍があるか。
- 回答
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以下の資料を案内した。
①
『南嶋入墨考』(小原 一夫/著 筑摩書房 1962.11)
巻頭図版 施術中の写真が掲載されている。
p52 「南島入墨の施術方法」の項中、「入墨の染料について」の見出しに「入墨の染料として用いられていたものを挙げると、最も一般に広く用いられたものは、上質の唐墨で、鍋墨、木炭、イカの墨なども挙げられる。入墨する針は、金属製の針のほかに、針の無い場合は、蘇鉄、デイゴなどの「トゲ」を用いたといっていた。」にと記載されている。
②
『針突 名護市針突調査報告』(名護市教育委員会/編 名護市教育委員会 1983.3)
p107 「5.施術の方法」の「1)用具」にて、「専門の針突師が突く時は、墨・針・台を用いている。墨は、「唐墨・硯で濃くすった墨・普通の物とは違う良い香りのする上等な墨…」などと述べ明らかに学校で使う習字用の墨とは違う、針突専用の墨のあったことを示している。針はほとんどが組針を使う。縫い針を使うこともあるが、長さ10cmぐらいの針突専用の針と思われるものを用いる場合もあった。」として本数の記載がある。「変った物ではシーグ(刃先の鋭った刃物)」や「蘇鉄の幹の上部にはえている鋭いトゲ」をもちいていたずらで突いた例や、突く手をのせるために「台」を用いたともある。また、針の写真も掲載されている。
③
『那覇市における針突習俗 明治生まれの民俗調査報告書』(那覇市教育委員会社会教育課/編 那覇市教育委員会 1983.3)
p11 「4.施術の方法」の「イ、用具」の項目で、「施術の道具としては、針・墨・硯・布などが上げられる。自分で突く場合は1本または2~3本の裁縫用の針を用い、墨も書道用の墨を用いたのが多い。」とあり、②の資料にも紹介されている蘇鉄の幹の上部の鋭いトゲを使った事例が紹介されている。「針突師は、…針突師専用の針を用いていた。墨については、ハジチャー墨、ハジチ墨などの呼称があり、…書道用の墨をは異なるものを使用していた人もいたが、針突師の多くは書道用の墨を使用していたようである。」と記載されている。また、「硯については、書道用の硯を用いたというのが多いが、なかにはシャコ貝、茶碗のようなものを用いた人もいる。」とある。
④
『沖縄の成女儀礼 沖縄本島針突調査報告書』(読谷村立歴史民俗資料館/編 読谷村教育委員会 1982.3)
p2 「施術用具」の項目に、「施術用具としての針は、4・5cm」位の縫針を数本結えたもので、文様の大小によって、1本、2本、3本、5本、7本、9本、15本、20本などと結えたものを使用した。結え方もまるく束にしたものと、縦に並べて結えたものの二通りがあった。…また、専門の針突師でなく自分たちで突く場合は、ソテツやデイゴなどのトゲを利用したとも言っている。墨は、トーズミ(唐墨)とかマルズミ(丸墨)と呼ばれる上質の墨を持っていて、それを硯に酒等を入れて濃くすったのを用いた。硯がない場合は瓦片や油壷の蓋等を用いた。また、自分たちで突く場合は、ランプのススやナベズミ、イカのスミ、木炭などを用いた。」と記載されている。
p146 「施術用具」の項に、針突師が用意して持ってくるハジチバーイと呼ばれる縫い針について「表10 施術道具「針」の本数統計表」の掲載がある。また「他に硯、その代用として油ガメの蓋、カメの破片や墨ツボ、台座、布(手を拭くもの)を持っている針突師もいた。」とある。
⑤
『東京国立博物館図版目録 琉球資料篇』(東京国立博物館/編 中央公論美術出版 2003.5)
p155 「253 膚箚器」の写真が掲載されている。
p228 資料説明として「明治18年5月20日沖縄県より購入 針12本、針突(入墨)を施す道具」と記載されている。
⑥
『沖縄文化史辞典』(真栄田 義見/編,琉球政府文化財保護委員会/監修,三隅 治雄/著, 源 武雄/著 東京堂出版 1972.3)
p46 「入墨」の項目で「入墨の方法は…厚さ三ミリ、幅一・五センチ、長さ二十センチくらいの平たい竹の先を三日月形にまげて五本の針を三ミリくらい出して固定してあるもので入墨する。」と記載されている。
⑦
『奄美の針突(ハヅキ) 消えた入墨習俗』 山下 文武/著 まろうど社 2003.1
p97 「2.技術と方法」の項に、「入墨施行に使用した道具は針とハヅキ墨という極上の墨、酒と高さ十五センチ程の小さな木箱が用意された。針は一般に木綿針を使用し、数本を束ねてその上を布で包んで針先だけをだした。細かい模様を入れる時は一本針を使用した。このほか絹針、ソテツの針柄、ボンタン木の刺などの使用例がある。」とある。
p99 「イェーズミ」の項に、「昔は藍(方言でイェー)を使用したという話を聞いた。…奄美で墨が一般に使われるようになったのは学校教育が普及し始める明治以降のことで…。入墨をする場合、墨は極上を使っていたというから、墨を使えない一般庶民は藍の色素を利用していたことが推察される。」とある。
⑧
『針突 -コザ地区-』 沖縄市立郷土博物館/編 沖縄市教育委員会 1991.3 沖縄市文化財調査報告書
p51 「施術道具」の項で、「ハジチの施術道具は、ハジチバーイと称される縫い針で…指二本の幅に束ねたもの、親指の幅に束ねたもの、数本束ねたもの等を使用している。墨は上質な墨を用いた。その場で硯にすったが、なかには硯がなくて陶器片にすったり、油壷の利用をする人もいた。友人や自分たちでいたずら半分に突いた人々の道具は、縫い針と学校用の墨を用いた。」とある。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 南嶋入墨考 小原 一夫/著 筑摩書房 1962.11 (p52)
- 針突 名護市針突調査報告 名護市教育委員会/編 名護市教育委員会 1983.3(名護市文化財調査報告 5) (p107)
- 那覇市における針突習俗 明治生まれの民俗調査報告書 那覇市教育委員会社会教育課/編 那覇市教育委員会 1983(昭和58).3 (p11)
- 沖縄の成女儀礼 沖縄本島針突調査報告書 読谷村立歴史民俗資料館/編 読谷村教育委員会 1982.3 (p2、146)
- 東京国立博物館図版目録 琉球資料篇 東京国立博物館/編 中央公論美術出版 2003.5 , ISBN 4-8055-0443-9 (p155、228)
- 沖縄文化史辞典 真栄田 義見/編,琉球政府文化財保護委員会/監修,三隅 治雄/著,源 武雄/著 東京堂出版 1972(昭和47).3 (p46)
- 奄美の針突(ハヅキ) 消えた入墨習俗 山下 文武/著 まろうど社 2003.1 (p97、99)
- 針突 -コザ地区- 沖縄市立郷土博物館/編 沖縄市教育委員会 1991.3 (沖縄市文化財調査報告書 第12集) (p51)
- キーワード
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- ハジチ
- 針突
- 入墨
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000314340