レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017/11/12
- 登録日時
- 2019/11/20 00:30
- 更新日時
- 2019/11/20 00:30
- 管理番号
- 牛久-1549
- 質問
-
解決
江戸時代の壬生藩城主で鳥居本忠か鳥居もとてる(漢字不明)という人物が、かんぴょうの原料である夕顔の栽培を奨励した。現在もその地域ではかんぴょうの生産が盛んであるらしい。その人物が夕顔栽培の奨励を行ったことについて詳しく知りたい。
- 回答
-
以下の2冊を紹介。
・『栃木県の歴史散歩』(栃木県歴史散歩編集委員会編/山川出版社/2007.3)p.235
・『人づくり風土記 9』(加藤秀俊編纂/農山漁村文化協会/1989.11)p.121~p.123
- 回答プロセス
-
1. googleで「鳥居 かんぴょう」と入力し、検索。
→「下野市観光情報サイト」
http://www.shimotsuke-ta.com/?p=we-page-entry&spot=13951
※最終アクセス日2019年11月12日
→夕顔の栽培を奨励した人物が壬生藩主の鳥居忠英(ただてる)と判明。滋賀からお国替えになったときに、かんぴょうの種を取り寄せ「下野の国」に広めたのが始まり。壬生藩は現在の栃木県下都賀郡壬生町。
2. 壬生藩が現在の栃木県と判明した。栃木県の歴史・民俗を調べるために、フリーワード「栃木」+「歴史」で自館所蔵検索し、次の資料にあたる。
(1)『栃木県の歴史散歩』(栃木県歴史散歩編集委員会編/山川出版社/2007.3)
→p.235精忠神社の境内にある干瓢発祥250周年記念碑の説明として以下がある。カンピョウは現在では栃木県の特産として知られるが、鳥居忠英が旧領近江水からユウガオの種子を取り寄せ、黒川以東の村々で栽培したのが始まりで、この碑はこれを記念したものである。
(2)『栃木県の歴史』(阿部昭/山川出版社/2011.12 213.2)
→p216に壬生城主鳥居忠英が近江水口から入封したときに、干瓢の種を伝え栽培が始まったとあり。
(3)『栃木県歴史人物事典』(栃木県歴史人物事典編纂委員会』(下野新聞社//1995.73)
→p436~437鳥居忠英は領内の殖産興業策として近江から干瓢を取り寄せ普及させたとあり。参考文献として『壬生町史』を紹介。当館に所蔵無し。
2. フリーワード「下野」+「かんぴょう」で自館所蔵検索し、1件ヒット。
(4)『人づくり風土記 9』(加藤秀俊編纂/農山漁村文化協会/1989.11)
→p.121~p.123下野のかんぴょうの歴史の項目に説明あり。鳥居忠英が領内の特産物にするべく、藩の役人松本茂右衛門にユウガオの種を取り寄せ、農民に試作させるよう命じたことが詳しく書かれている。
以上のことから(1)(4)の資料を紹介。
- 事前調査事項
-
江戸時代の壬生藩城主で鳥居本忠か鳥居もとてる(漢字不明)という人物が、かんぴょうの原料である夕顔の栽培を奨励した。
現在もその地域ではかんぴょうの生産が盛んであるらしい。
- NDC
- 参考資料
-
- B10565348 栃木県の歴史散歩 栃木県歴史散歩編集委員会/編 山川出版社 2007.3 291.32 978-4-634-24609-6
- B10025217 人づくり風土記 9 加藤秀俊/[ほか]編纂 農山漁村文化協会 1989.11 210.5 9784540890109
- B10651745 栃木県の歴史 阿部昭/著 山川出版社 2011.12 213.2 978-4-634-32091-8
- B10028270 栃木県歴史人物事典 栃木県歴史人物事典編纂委員会/編集 下野新聞社 1995.7 281.32 9784882860648
- 下野市観光情報サイト http://www.shimotsuke-ta.com/?p=we-page-entry&spot=13951 2019.11.12
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 言葉
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000265462