レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022/09/15
- 登録日時
- 2024/03/20 00:31
- 更新日時
- 2024/03/20 00:31
- 管理番号
- 町田-278
- 質問
-
解決
昭和21年1月1日の昭和天皇の詔書は、のちに「人間宣言」と通称されているが、いつ、誰が言い出したものなのかを知りたい。
- 回答
-
いつ、誰が、と明言するものはなかったが、
読売新聞データベース ヨミダス歴史館
1946年10月14日 朝刊 1ページ 広告
毎日記者 藤樫準二著『陛下の”人間”宣言』の広告
この新聞広告が、見つけられたもののなかでは一番古い資料だった。
1949年
『われらの象徴民主天皇』藤樫準二
序に「終戦ほどなく出した自著『陛下の「人間」宣言』に慌ただしく筆を加え~」とあり
1952年
『画報近代百年史 第17集』p.1374
「いわゆる人間宣言の勅書」
「朕は神ではない」とあるが、これは実際の勅書には書かれていない
1955年
『憲法講話』
p.107 天皇神性否定・人間宣言の勅書の発布
1960年
『憲法調査会第三委員会会議議事録』
p.32 「いわゆる「天皇の人間宣言」と申されております年頭の勅書の関しまして、これに当時関係なさいました前田さん、それから藤樫さんがお見えになっておりますから、御質問がありましたら、その点にも触れてお話を伺えればと思います」という高田委員長の発言
210.75-ト『新大東亜戦争肯定論』
p.189 「人間宣言とはっきり明記したものは皆無」「陛下の人間宣言という本がこの俗称の流布に一役買っているのかもしれない」
312.1-カ『「象徴天皇』の戦後史』
p.72 「この年頭の勅書を「人間宣言」として最初に世間に認知させたのは、管見の限りでは、1946年に6月に発行された藤樫の著作『陛下の”人間”宣言』だと思われる」
※これをきっかけに「人間宣言」という言葉が定着していく流れについても記述あり。
p.73「藤樫は巡幸を「陛下の”人間”宣言地方巡幸」と評価しており、「人間宣言」の延長としての巡幸という意図を理解し、積極的にそれを押し出す記事を執筆していた」
210.76-キ『側近日記』
p.333「藤樫の「”人間宣言”秘録」(『サンデー毎日』1960年1月10日号)
国会デジタルコレクション
『山梨勝之進先生遺芳録』info:ndljp/pid/3452516 180-181コマ p.315-316
天皇陛下の人間宣言の章のなかに「いわゆる天皇陛下の人間宣言のご詔勅のことを一つ申し上げておきたい」昭和三十五年の正月に出たサンデー毎日の記事に関する「どうしてご詔勅が出たかという経緯を加えて、藤樫順二という三十年も宮内省に出入りしている、宮内省のことはわたくしよりもよく知っている記者が具体的に詳しく出した」という記述
『神道学 (138)』info:ndljp/pid/2263759 9コマ p.15 1988年
日本側のと対応として当時の雑誌記事等がいくつか挙げられている。
「天皇かくて人間となる」 藤樫準二 サンデー毎日 昭35・1・10
「天皇の『人間宣言』草案秘話」 奥山益朗 週刊朝日別冊 昭36・1
「天皇の”人間宣言”詔書について」 宮地治邦 神道宗教 70、71号 など
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (281 10版)
- 参考資料
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- 画報近代百年史6日本近代史研究会/編集日本図書センター (p.1374)
- 新*大東亜戦争肯定論富岡幸一郎/〔著〕飛鳥新社 (p.189)
- 「象徴天皇」の戦後史河西秀哉/著講談社 (p.72)
- 側近日誌木下 道雄/著文藝春秋 (p.332)
- キーワード
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- 昭和天皇(ショウワテンノウ)
- 人間宣言(ニンゲンセンゲン)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000347719