レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023/07/12
- 登録日時
- 2023/08/27 00:30
- 更新日時
- 2023/08/27 00:30
- 提供館
- 宮城県図書館 (2110032)
- 管理番号
- MYG-REF-230030
- 質問
-
解決
皇后や内親王などの、特に帝の血縁者の女性には政治家としての側面がどれほどあったのか知りたいです。
例えば、里中満智子の漫画の「女帝の手記」という孝謙天皇の話の中で、母親の光明皇后の政治家としての振舞いが見事だと表現されていることや、源氏物語で、光源氏が尼僧になった藤壺に相談する場面の中で「藤壺はもう立派な政治家になっている」と表現されている資料がありました。
- 回答
-
下記資料を御案内しました。※【 】内は当館請求記号です。
資料1 服藤早苗 編著『平安朝の女性と政治文化 : 宮廷・生活・ジェンダー』明石書店, 2017年【210.36/2017.3】
資料2 倉田実 編『平安大事典 : ビジュアルガイド』朝日新聞出版, 2015年【210.36/2015.4/R】
資料3 伊集院葉子 著『古代の女性官僚 : 女官の出世・結婚・引退』(歴史文化ライブラリー), 吉川弘文館, 2014年【322.13/2014.Z】
資料4 服藤早苗 編『女と子どもの王朝史 : 後宮・儀礼・縁』(叢書・文化学の越境)森話社, 2007年【210.36/2007.4】
資料5 義江明子 著『日本古代女性史論』吉川弘文館, 2007年【367.21/2007.2】
資料6 川村裕子 著『王朝生活の基礎知識 : 古典のなかの女性たち』(角川選書), 角川書店, 2005年【910.23/カユ2005.3】
資料7 滝浪貞子 著『最後の女帝孝謙天皇』(歴史文化ライブラリー), 吉川弘文館, 1998年【288.41/1998.8】
資料8 総合女性史研究会 編『日本女性史論集』2 : 政治と女性, 吉川弘文館, 1997年【367.21/1997.X/2】
資料9 荒木敏夫 著『日本古代王権の研究』吉川弘文館, 2006年【210.3/2006.6】
資料10 遠藤みどり 著『日本古代の女帝と譲位』塙書房, 2015年【210.3/2015.Y】
資料11 義江明子 著『日本古代女帝論』塙書房, 2017年【210.3/2017.3】
資料12 阿部猛[ほか] 編『日本古代史研究事典』東京堂出版, 1995年【210.3/1995.9/R】
資料13 『新編日本古典文学全集』26, 小学館, 1994年【918/シ1/26】
皇后や内親王などの、帝と血縁関係の女性はどのように政治に関わっていたのかについて、関連する記述を御紹介しました。
資料1 p.167「第二部 上東門院彰子の周辺」-「国母の政治文化-東三条院詮子と上東門院彰子-」-「おわりに」の項
「(前略)とりわけ上東門院彰子は、摂関や太政大臣の人事ばかりではなく官奏等の政務も行い、院政期には男性院に先例として継承されていくことを指摘した。国母は政務運営や決裁に直接関わっていたのである。摂関期の実際の史料でも、人事・儀式・財産・キサキ決定などに発言権を見て取ることができた。さらに、幼帝に代わり政権を行使する摂政は、国母の御在所を重要な政務の場としていたことも明らかになった。(後略)」
資料2 p.14「1平安京と大内裏」-「後宮」-「後宮の概要」の項
「(前略)后妃は、平安中期に皇后(中宮)・女御・更衣の呼称となり、内侍司(女官の組織)の長官となる尚侍も后妃化した。女御は大臣、更衣は大納言以下の娘がなり、皇后は女御の中から一人だけ選ばれた。後宮は、后妃の父親が、誕生した皇子が即位すると、天皇の外祖父となって政治の実権を握る摂関政治を支える根本として機能していた。(後略)」
また、pp.50-55「4 生活」-「官職と位階」の項に、各官職がどのような内容の仕事をしていたのか、またどの程度天皇に関わっていたのかが記載されています。
資料9 p.237「3 古代王権の特質-大王・大后と天皇・皇后-」-「第三章 日本古代の大后と皇后-三后論と関連させて-」-「二 九世紀前半までの皇后」の項
「(前略)律令の規定では、皇后は、公式令5「便奏式条」や公式令6「令旨式条」によって皇太子と同様に「小事」を「令旨」で決済することに限定された権限しか持たない。その権限の内容は国家「大事」(=天皇大権)に関われず、「小事」(請進鈴印・及賜衣服・塩酒・菓食・并給医薬)しか対応できない。注意を要するのは、このような限定された権限は皇后だけでなく、「皇太子令旨式三后亦准此式(後略)」とあるように皇太后や太皇太后にまで及ぶものであることである。」
資料9 p.247「3 古代王権の特質-大王・大后と天皇・皇后-」-「第三章 日本古代の大后と皇后-三后論と関連させて-」-「むすび」の項
「(前略)日本古代の皇后-三后の歴史は、律令に規定された皇后の創出によって王権内の天皇を主とする家父長的秩序を維持させて安定化をめざす動きと、令制以前の大王を補完する大后の伝統を継承する皇后を配置することで王権の安定化をめざす二つの途が相克する点を記してきた。(後略)」
資料10 pp.252-254「第三編 令制下のキサキ制度」-「第七章 日本古代王権とキサキ」-「おわりに-女帝から母后へ-」の項
「(前略)八世紀末-九世紀初頭におけるキサキ制度や皇子女扶養制度の転換によって、キサキは内裏へと居所を移し、経済的基盤が縮小されることで、天皇や外戚への依存度を増し、天皇の妻妾としての側面を強くしていく。その一方で、母后は所生の天皇や皇太子との同居を再開し、母として天皇や皇太子の後見を続けていく。この母后による後見力を基盤として成立してくる政治形態が、摂関政治なのである。(中略)八世紀前半までは、天皇(大王)の子である女帝が、王族内の女性尊属として皇太子や天皇の後見を行っていたのに対し、八世紀半ば以降は天皇の母である母后が、女帝に代わってその役割を担っていったと考えられるのである。このように、女帝から母后への変化は、王権の後見の役割を担う女性が、天皇の血を引く女帝(子)から天皇を産んだ母后(母)へと変化したものと言うことができる。これは同時に、王の血を引かない貴族女性が、王と婚姻を結び、王の子を産むことで、王族の一員とみなされていった過程でもある。これ以後、称徳を最後に女帝は姿を消すように、女帝はその役割を終え、代わって母后が台頭していくのである。」
資料11 p.364「結」の項
「(前略)六~七世紀の男女長老による統治から、律令制国家の樹立による過渡期を経て、九~一〇世紀以降は、太政官機構の成熟、それを統括する公卿層と最終決済者としての天皇、そして外戚摂関による天皇の代行/輔佐へと移行していき、天皇の母は「国母」として、王権内にあって摂関の権力を支えたのである。(後略)」
また、これらのほか論文記事には兄弟姉妹による王位継承に関する記述がありました。
官文娜『日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要』28, 国際日本文化研究センター, 2004年【PA302.1/ニ】
pp.145-175「日本古代社会における王位継承と血縁集団の構造 : 中国との比較において」の項
なお、こちらの資料はCiNii Articlesからでも本文へのアクセスが可能です。 (https://ci.nii.ac.jp/naid/120005681607 最終アクセス日 : 2023/7/5)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 日本史 (210 9版)
- 参考資料
-
- 服藤/早苗?編著. 平安朝の女性と政治文化. 明石書店, 2017.3【210.36/2017.3】:
- 義江/明子?著. 日本古代女帝論. 塙書房, 2017.3【210.3/2017.3】:
- 遠藤/みどり?著. 日本古代の女帝と譲位. 塙書房, 2015.11【210.3/2015.Y】:
- 倉田/実?編. 平安大事典. 朝日新聞出版, 2015.4【210.36/2015.4/R】:
- 伊集院/葉子?著. 古代の女性官僚. 吉川弘文館, 2014.12【322.13/2014.Z】:
- 服藤/早苗∥編. 女と子どもの王朝史. 森話社, 2007.4【210.36/2007.4】:
- 義江/明子∥著. 日本古代女性史論. 吉川弘文館, 2007.2【367.21/2007.2】:
- 荒木/敏夫∥著. 日本古代王権の研究. 吉川弘文館, 2006.6【210.3/2006.6】:
- 川村/裕子∥著. 王朝生活の基礎知識. 角川書店, 2005.3【910.23/カユ2005.3】:
- 滝浪 貞子/著. 最後の女帝孝謙天皇. 吉川弘文館, 1998.8【288.41/1998.8】:
- 総合女性史研究会/編. 日本女性史論集 2. 吉川弘文館, 1997.11【367.21/1997.X/2】:
- 阿部 猛/[ほか]編. 日本古代史研究事典. 東京堂出版, 1995.9【210.3/1995.9/R】:
- . 新編日本古典文学全集 26. 小学館, 1994.9【918/シ1/26】:
- キーワード
-
- 皇后 -- 歴史 -- 平安時代
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- その他
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000337603