レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011/03/29
- 登録日時
- 2011/04/23 02:01
- 更新日時
- 2011/05/23 14:01
- 管理番号
- 1000000283
- 質問
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解決
王府時代に「牛馬を食用にしてはならぬ」という布令が出されて、以降、豚、山羊が主たる食肉となったようだが、その布令はいつの時代に発布されたのか。またその背景を知りたい。
- 回答
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『沖縄大百科事典 上ア~ク』(沖縄大百科事典刊行事務局[編]、沖縄タイムス、1983年)
p880「牛馬屠殺の禁止」の項に次のような記載あり。
「近世、首里王府の牛馬屠殺にたいする施策の総称。牛馬は農耕・運搬の役畜として重要であり、また馬は貢物および士族の乗用として重要視されていたため屠殺に関して禁止措置がとられた。すでに「法式」(1697)のなかに<牛は耕作のたすけになるものゆえ、これを屠殺して祝儀に用いることは今後禁止する>と通達されている。」
ここでいう「法式」とは、「諸間切法式帳」のことで、「中頭法式」「読谷山法式」ともいわれていた。
「諸間切法式帳」の内容については、『沖縄県史 各論編4 近世』(沖縄県文化振興会公文書館管理部史料編集室、沖縄県教育委員会、2005年)で解説されている。
p141「1婚礼葬礼に関すること」に、
「牛を潰し大酒を飲むなとある。これは『羽地仕置』にも出てきたが、今回はその理由が述べられている。牛は農耕の助けになるので牛を殺し祝儀をすることは『禁止』というものである。この条項は十九世紀の資料にも出てくるので、『羽地仕置』以来禁止されたにもかかわらず徹底しなかったことがわかる」とある。
「羽地仕置」(1666~1673年)と「諸間切法式帳」(1697年)は、『沖縄県史料 前近代1』(沖縄県沖縄史料編集所[編]、沖縄県教育委員会、1981年)に収録されている。
p3~57に「羽地仕置」の影印と翻刻を収録。
p16に「一田舎葬祭礼之刻牛共殺大酒仕候儀前々よ里雖為禁止・・・」との記述あり。
p61~70に「法式」の翻刻を収録。
p61に「一同時肴者可為豚以下事前々者依進退牛共殺祝儀為仕由候得共牛ハ耕作之佐ニ成者候間向後禁上可申付候」との記述あり。
その後の19世紀の資料については、「田地奉行規模帳」(1809年)がある。『沖縄県史料 前近代6』(沖縄県立図書館史料編集室[編]、沖縄県教育委員会、1989年)p139~148に翻刻収録されている。
p143に「牛馬殺候儀耕作之助忘却之筋甚不宜儀ニ而堅可召留め事」との記述あり。
この内容は『沖縄一千年史』第4編尚円王統中期 第4節農制に紹介され、「之れ牛馬耕の保護又は肥料採用の為めに出でたるなり」と解説されている(『真境名安興全集 第1巻』琉球新報社、1993年、p351)。
『全集 日本の食文化8 異文化との接触と受容』(雄山閣出版、1997年)p223にも同様の記載あり。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 1 沖縄大百科事典 上 ア~ク 沖縄大百科事典刊行事務局∥編 沖縄タイムス社 1983.5 K03/O52/1 880
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2 沖縄県史料 前近代1 沖縄県沖縄史料編集所∥編 沖縄県教育委員会 1981.3 K206/O52/1-1 16、61 -
3 沖縄県史 各論編4 沖縄県文化振興会公文書館管理部史料編集室∥編集 沖縄県教育委員会 2005.3 K206/O52/4 141 -
4 沖縄大百科事典 中 ケ~ト 沖縄大百科事典刊行事務局∥編 沖縄タイムス社 1983.5 K03/O52/2 522 -
5 沖縄一千年史 真境名 安興∥編著 沖縄新民報社 1952.11 K201/MA32/ 502 -
6 沖縄県史料 前近代6 沖縄県立図書館史料編集室∥編 沖縄県教育委員会 1989.2 K206/O52/1-6 143 -
7 全集日本の食文化 第8巻 雄山閣出版 1997.10 K383/Z3/8 223 -
8 真境名安興全集 第1巻 眞境名 安興∥著 琉球新報社 1993.2 K08/MA32/1 351
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 書誌調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000085423