レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021/03/26
- 登録日時
- 2021/03/31 00:30
- 更新日時
- 2021/03/31 00:30
- 管理番号
- 鹿県図-200066
- 質問
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解決
“七島藺(しちとうい)”という畳(特に琉球畳)に使われているい草のような植物がある(トカラ列島よりも南の方が生産が盛んのようである)。
①どのような経緯で“七島藺”という名前がつけられたのか。
②口之島から大阪へ七島藺を運んでいたようだが,その根拠となるような資料があるか。
- 回答
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①について
資料1 p496「七島藺 しちとうい
七島藺を『大和本草』に「七島海辺鹹淡相雑はる浅水の地に生ず。燈心草に似て三角なり。織りて蓆とす。琉球より此蓆来る。薩州の七島より多く出る。故に名づく」と記載あり。
資料2 p67「シチトウの名の由来について,与論島麦屋の文宇志翁(慶応生まれ)は,大島産のシチトウムッスウ(七島表)の取り引きは口之島で行ったので,シチトウの名がつけられたものだそうだ,と話された。」
資料3 p108-109「このあと1859年(安政6年)に刊行された大蔵永常著『国産考』三の巻には「此蓆草を琉球藺又は七島藺という。依って筵に織りたるを琉球表七島表とよべり。…彼国より来る表は強くして78か年も破るることなし」とし,七島の名を挙げて本土に渡来したことや,栽培法,加工法を詳述したことは驚くばかりである。」
以上,資料1~3のように諸説あるようで,それぞれの資料を見ていただくよう案内した。
②について,根拠がわかる資料は見付けられず。参考として①でも使用した以下の資料を紹介した。
前出資料2 p67「明治以降の生産統計に,十島村のシチトウ生産高はごくわずかであるのを見ると,あるいはとも思われる。しかしそれを確認する文書に接していない」
とあることから,あまり十島村ではシチトウが生産されていなかった可能性があり。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 1 鹿児島大百科事典 南日本新聞社鹿児島大百科事典編纂室/編 南日本新聞社 1981.09 K03/ミ81 p496
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2 奄美風土記 栄/喜久元?著 竹井/勝志?絵 大和学芸図書 1979.7 K2984/サ79 p67 -
3 奄美風土記 続 栄/喜久元?著 竹井/勝志?絵 大和学芸図書 1981.1 K2984/サ79/2 p108-109 -
1 近世の吐〓喇列島 山田 尚二/著 十島村役場 1995.03 K29142/ヤ95 『三国名勝図会』の“筵座(ござ)”について記載 -
2 南日本の民俗文化写真集 3 トカラ列島 下野/敏見?著 南方新社 2010.1 K38/シ010/3 p35 七島藺の写真あり(ただし口之島ではない) -
3 十島村誌 十島村誌編集委員会/編 十島村 1995.03 K29142/ト95 -
4 十島村誌 追録版 十島村誌追録版編集委員会?編 十島村 2019.3 K291.42/ト95 -
5 七島問答 白野 夏雲/著 [出版者不明] [出版年不明]写 K29142/シ884 -
6 口之島 [笹森 儀助/原著] [出版者不明] [出版年不明] K29142/サ39
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 言葉
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000296001