レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2008年01月25日
- 登録日時
- 2012/11/26 11:59
- 更新日時
- 2012/11/26 11:59
- 管理番号
- いわき総合-地域143
- 質問
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解決
平・六間門にある「高麗橋」の由来について知りたい。
- 回答
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高麗門がそばにあったので「高麗橋」となった。
高麗橋について書かれた書籍は見当たらず、新聞などの資料から高麗橋に関する記述を探した。
○『常磐毎日新聞』(昭和9年11頃)に「高麗橋を中心として」という連載記事があり「高麗橋」や「高麗門」という記述が数ヶ所確認できた。
○『福島民報』(昭和54年4月2日)に高麗橋に関する記事あり。
これらの記事から次のことが考えられる。
高麗橋のある場所は江戸時代には堀割されていた所で、平城・六間門に通じる築堤であり、水の流れる部分だけくり貫かれていたものと考えられる。
「高麗橋を中心として(4)」にあるように、高麗門は武家屋敷の一つの門を指していたようで、江戸時代の古地図には出てこない。場所は平城・六間門の近く。
明治時代に入り、堀割を道路に転用するときにその門の名前にちなんで「高麗橋」と名づけられたようである。
ちなみに「高麗門」とは高麗門様式の門のことを一般的にいう。
以上を利用者に伝える。
後日、『常磐毎日新聞』(大正13年3月26日)に「幽霊橋の名を高麗橋委員会が命名」という記事を発見。やはり旧幕時代に高麗門があったところであったため、当時の土木委員会で決定したとのことだった。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
- キーワード
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- 高麗門
- 磐城平城
- 高麗橋
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 地名
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000114875