レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20230719
- 登録日時
- 2024/03/27 00:30
- 更新日時
- 2024/03/27 18:20
- 管理番号
- 中央-2023-34
- 質問
-
解決
スタジオジブリの宮崎駿が手塚治虫にどういう印象を持っていたか知りたい。
- 回答
-
都立図書館蔵書検索及び末尾のデータベース類をキーワード<宮崎駿><手塚治虫><鈴木敏夫[スタジオジブリのプロデューサー]><スタジオジブリ><アニメ><歴史>等で検索し、ヒットした資料を調査した。
以下の資料に、宮崎駿が手塚治虫に言及している記述が見出せた(以下記載は宮崎、手塚)。
資料1 『出発点 1979~1996』
宮崎のエッセイや企画書、インタビュー等が掲載されている。
p.231-236「<人> 手塚治虫に「神の手」をみた時、ぼくは彼と訣別した」
宮崎が書いた手塚の追悼記事で、出典は資料2の記事。
p.452-472「<作品> 宮崎駿自作を語る」
宮崎は小学生のころ、手塚の漫画「太平洋Xポイント」が好きだったと語っている(p.453)。このインタビューの出典は資料3の記事。
資料2 雑誌『Comic box』3巻47号通巻60号(1989.5)
p.108-109「手塚治虫に「神の手」をみた時、ぼくは彼と訣別した。」(宮崎駿)
宮崎が書いた手塚の追悼記事。手塚の漫画に強く影響を受けていたことや、一方で虫プロのアニメーションを見て、意識的に描いた終末の美で感動させようとする手塚の「神の手」を感じたことで、はっきりと決別をしたこと等が記載されている。
また、日本のテレビアニメの製作費用の安さの原因は、『鉄腕アトム』の費用が安価だったこと等を挙げて手塚を批判している。
資料3 雑誌『アニメージュ』(1984年3月増刊 映画風の谷のナウシカガイドブック)
p.111-130「宮崎駿自作を語る」(雑誌『アニメージュ』1981年8月号の再録)
資料4 『折り返し点 1997~2008』
p.175-186「『もののけ姫』(1997) 子供達が幸せな時代を持てるよう、大人は何を語るべきか」
p.179-181「手塚マンガとの出会いと別れ」では、20歳頃から手塚作品の影響と闘っていたことが語られている。
このインタビューの初出は、以下の雑誌の記事と記載されている。都立図書館は欠号のため未所蔵。
・雑誌『抒情文芸』1998年夏号 抒情文芸刊行会
資料5 『風の帰る場所 ナウシカから千尋までの軌跡』
宮崎の5つのインタビューが掲載されている。
p.9-81「風が吹き始めた場所」
p.71-75「手塚治虫」では、手塚の漫画に影響を受けたことや、手塚のアニメに対する批判が語られている。
またp.75-81「ディズニー」では、宮崎は今でも手塚の影響と戦っているため、亡くなっていることを理由に褒めることはない、といったことが語られている。このインタビューの初出は、以下の雑誌の記事。
資料6 雑誌『ロッキング・オン』19巻2号通巻189号(1990年1月増刊 Cut)
p.112-121「CUT ORIGINAL INTERVIEW 宮崎駿」
資料7 『手塚治虫展 未来へのメッセージ』
2009年に東京都江戸東京博物館で行われた手塚の生誕80周年記念特別展の図録。
p.12-18「宮崎駿インタビュー「手塚治虫を語る」」
冒頭で資料3の記事に触れているほか、「鉄腕アトム」に対する批判や、自身の絵が手塚の影響を引きずっているといったことが詳しく語られている。
資料8 雑誌『スパ』38巻9号通巻2131号(1989年2月23日)
p.102「追悼・手塚治虫 手塚作品と戦うことがボクたちの使命だ」(宮崎駿)
宮崎が書いた手塚の追悼記事。手塚は神様ではなく、ある意味で戦う相手であり、決別して新しいものをつくることを手塚も望んでいるのではないか、といったことが記載されている。
また、以下は宮崎の作品をプロデュースし、手塚とも交流があった映画プロデューサーの鈴木敏夫が、宮崎と手塚について語っているインタビュー記事である。
情報1 「手塚治虫が宮崎駿をライバル視!? ジブリ・鈴木敏夫が語る二人の素顔|AERA dot.」(門倉紫麻)
https://dot.asahi.com/articles/-/95983?page=1
手塚が宮崎をライバル視していたことや、宮崎は手塚の初期の作品は尊敬していたが、きちんと時間と予算をかけて作られていなかった手塚のアニメが許せなかったこと等が語られている。
この記事は以下のMOOK本の抜粋。都立図書館は未所蔵。
・『マンガのDNA 手塚治虫文化賞20周年記念MOOK マンガの神様の意思を継ぐ者たち』(ASAHI ORIGINAL)山岸凉子 [ほか] [著] 朝日新聞出版 2016.10
情報2 「知られざる手塚治虫の素顔|NHKアーカイブス」(NHK)
https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0001810289_0000
2015年1月8日に収録された番組「[戦後史証言プロジェクト 日本人は何をめざしてきたのか]2014年度「知の巨人たち」」のアーカイブ映像。インタビューの内容はテキストでも読むことができる。
「チャプター[4]手塚アニメを語る」では、宮崎や高畑勲は手塚のアニメを批判的に見ながら、違うものを作ろうとしていたことが語られている。
参考文献のうち、資料2、3、6は都立多摩図書館資料である。
以上、インターネット情報等の最終検索及びアクセス日は、すべて2024年3月11日。
【調査に使用したデータベース等】(都立図書館で契約しているデータベースには*を付す。)
・国立国会図書館サーチ(国立国会図書館)https://ndlsearch.ndl.go.jp/
・国立国会図書館デジタルコレクション(国立国会図書館)https://dl.ndl.go.jp/
・CiNii Research(国立情報学研究所)https://cir.nii.ac.jp/
・Google(Google)https://www.google.co.jp/
・Google Books(Google)https://books.google.co.jp/
・雑誌記事索引集成データベース ざっさくプラス(皓星社)*
・MagazinePlus(日外アソシエーツ)*
・Web OYA‐bunko 公立図書館版(大宅壮一文庫)*
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 映画 (778 10版)
- 漫画.挿絵.児童画 (726 10版)
- 参考資料
-
- 【資料1】出発点 1979~1996 / 宮崎 駿/著 / スタジオジブリ / 1996.7 <7787/3027/96> (p.231-236、453)
- 【資料2】雑誌:Comic box 3巻 47号 通巻60号(1989年5月) / ふゅーじょんぷろだくと <5008755450> (p.108-109)
- 【資料3】雑誌:アニメージュ (1984年3月増刊) / 徳間書店 <5007453787> (p.111-130)
- 【資料4】折り返し点 1997~2008 / 宮崎 駿/著 / 岩波書店 / 2008.7 <778.7/5181/2008> , ISBN 978-4-00-022394-2 (p.175-186)
- 【資料5】風の帰る場所 ナウシカから千尋までの軌跡 / 宮崎 駿/著 / ロッキング・オン / 2002.7 <778.7/5039/2002> (p.71-75、75-81)
- 【資料6】雑誌:ロッキング・オン 19巻 2号 通巻189号(1990年1月増刊) / ロッキング・オン <5006036082> (p.112-121)
- 【資料7】手塚治虫展 未来へのメッセージ / 手塚眞/監修 / 東京都江戸東京博物館/ [ほか] 編集 / 東京都江戸東京博物館 / 2009.4 <D/726.1/5513/2009> (p.12-18)
- 【資料8】雑誌:スパ 38巻 9号 通巻2131号(1989年2月23日) / 扶桑社 <5016399583> (p.102)
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000348063