レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011年10月15日
- 登録日時
- 2014/05/30 11:53
- 更新日時
- 2014/06/03 09:46
- 管理番号
- いわき総合-地域219
- 質問
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解決
いわき市江名の真福寺境内にある「江名漁船員殉職者之碑」の建碑由来について知りたい。
また、碑に記されている殉職者の氏名も知りたい。
- 回答
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昭和20年2月25日に起きた「鹿島灘沖漁船銃撃」の犠牲者を慰霊するために、25年後の昭和45年3月29日に建てられたものです。
「鹿島灘沖漁船銃撃」については、『いわき市史 第4巻 近代Ⅱ』(P145)、『いわきの戦災』(P13~)や『江名漁業史』(P81~)、『写真でつづる実伝・いわきの漁民』(P104~)、『中之作村』(P38~)、『近代いわき経済史考』(P313~)にも関連した記述がありました。
また、殉職者の氏名については『江名漁業史』のP83~85に記載がありました。
- 回答プロセス
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1.市史を確認
【資料①】『いわき市史 第4巻 近代Ⅱ』
P145に「鹿島灘沖漁船銃撃」の記述があった。P146には「石城郡戦災史年表」があり、伊東達也氏の「いわきの戦災」より転載していることが分かった。
2.各資料を確認
【資料②】『いわきの戦災』(『6号線』第22号より抜刷)
P13に「鹿島灘遭難」という題で、被害状況や碑の写真が掲載されている。
【資料③】『江名漁業史 昭和37年』
P81に「鹿島灘の惨事」があり、被害状況や死亡者名が記載。
【資料④】『写真でつづる実伝・いわきの漁民』
「サメ船団の悲劇」(P104~109)には、建碑由来や遺族のその後についての記述がある。
【資料⑤】『中之作村』
P38に、漁船銃撃を免れた中之作港漁船の逸話が掲載されている。
【資料⑥】『近代いわき経済史考』
P313「江名町漁船殉職者供養塔」に建碑由来、碑文が掲載。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 9版)
- 社会.家庭生活の習俗 (384 9版)
- 水産業および漁業史.事情 (662 9版)
- 参考資料
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- 【資料①】『いわき市史 第4巻 近代Ⅱ』いわき市 [K/210.1-1/イ・1110038534]
- 【資料②】『いわきの戦災』 伊東達也 1985 [K/210.7-1/イ・1111956411]
- 【資料③】『江名漁業史 昭和37年』 江名町漁業協同組合 1962 [K/662/エ・1110084454]
- 【資料④】『写真でつづる実伝・いわきの漁民』草野日出雄 1978 [K/384/ク・1110066170]
- 【資料⑤】『中之作村』 松本茂 2008 [K/210.1-1/マ・1111967947]
- 【資料⑥】『近代いわき経済史考』 斎藤伊知郎 1976 [K/332/サ・1110055041]
- キーワード
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- いわき 戦災
- 漁業
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000153876