レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018年08月20日
- 登録日時
- 2019/06/19 12:16
- 更新日時
- 2019/06/19 12:54
- 管理番号
- 京歴-441
- 質問
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未解決
京都市内にある御池通について調べたい。御池通は第二次大戦中に建物疎開によって道幅が拡張されたが、拡張前の道幅についても知りたい。
- 回答
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『京都市の地名(日本歴史地名大系;27)』(①)pp.691-692の「御池通」の項に、御池通の歴史や名前の由来が紹介されている。
①によると、御池通は平安京の三条坊門小路にほぼあたり、江戸期には旧名の三条坊門通と御池通の呼称が併用され、また別に八幡町通とも呼ばれていた。
御池通という名は、御池通が神泉苑の前を通っており、その神泉苑にあった池に由来するという説、御池町という町名に由来するという説、藤原良実の別邸にあった池に由来するという説があるとしている。
また、昭和20(1945)年3月、空襲からの類焼防止策のために南側の民家の疎開が行われたこと、その疎開跡が戦後に拡張されて幹線道路となったことが書かれているが、拡張前の道幅は記載されていない。
『京都の大路小路』(②)のpp.144-147、『京都 通り名ものがたり』(③)のpp.22-23にも、御池通の歴史、名の由来について記述があるが、拡張前の道幅は記載されていなかった。
『御池通界わい今昔マップ』シリーズ(④~⑥)には御池通周辺の古い写真や戦前の復元図などが掲載されている。道幅は書かれていない。
『戦争のなかの京都』(⑦)p.84には、1945年正月時点の御池通の道幅が5~6メートルであったことが記載されている。p.109でも1945年4月2日時点の御池通の道幅を5~6メートルとしている。
pp.110-111には1945年4月2日に米軍が撮影した航空写真を掲載しており、建物疎開前の狭い御池通を見ることができる。pp.112-113には4月13日の航空写真を載せており、急ピッチで進む建物疎開の様子がわかる。
建物疎開については、『建物疎開と都市防空』(⑧)が詳しく、上記の航空写真もpp.162-163に掲載されている。御池通の疎開前の道幅は記されていなかった。
⑧で典拠としてあげられていた『建設行政のあゆみ』(⑨)p.39に「図-3 御池通の疎開跡地整備」があり、旧御池通の幅を14.9メートルとしている。
- 回答プロセス
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開架にある京都の通や地誌に関する資料①~⑥を提供した。
建物疎開に関して調べるため、⑦⑧⑨を確認した。
- 事前調査事項
- NDC
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- 衛生工学.都市工学 (518)
- 参考資料
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- ① 京都市の地名(日本歴史地名大系;27).平凡社,1979. (当館請求記号:K1||291.62||H51||)
- ② 京都の大路小路 ビジュアル・ワイド.小学館,2003. (当館請求記号:K1||291.62||Ky6||)
- ③ 京都市洛東グループ古都研究会調査・編集,有村政則編集・著.京都通り名ものがたり.有村政則,2004. (当館請求記号:K1||291.62||Ky6||)
- ④ 都市計画局都市企画部都市づくり推進課[編].御池通界わい今昔マップ 烏丸通~鴨川界わい編.都市計画局都市企画部都市づくり推進課,2005. (当館請求記号:K13||291.62||To72||)
- ⑤ 都市計画局都市企画部都市づくり推進課[編].御池通界わい今昔マップ 堀川通~烏丸通界わい編.都市計画局都市企画部都市づくり推進課,2005. (当館請求記号:K13||291.62||To72||)
- ⑥ 都市計画局都市企画部都市づくり推進課[編].御池通界わい今昔マップ 千本通~堀川通界わい編.都市計画局都市企画部都市づくり推進課,2005. (当館請求記号:K13||291.62||To72||)
- ⑦ 中西宏次著.戦争のなかの京都(岩波ジュニア新書;644).岩波書店,2009. (当館請求記号:K1S||216.206||N38||)
- ⑧ 川口朋子著.建物疎開と都市防空:「非戦災都市」京都の戦中・戦後(プリミエ・コレクション;41).京都大学学術出版会,2014. (当館請求記号:K1||216.206||Ka92||)
- ⑨ 建設局小史編さん委員会編.建設行政のあゆみ:京都市建設局小史.京都市建設局,1983. (当館請求記号:MK1||510.91||Ky6||)
- キーワード
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- 御池通
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000257610