レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20180906
- 登録日時
- 2022/03/31 00:30
- 更新日時
- 2022/03/31 00:30
- 管理番号
- 徳郷20180903
- 質問
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解決
(1)阿波の国において,関寛斎が種痘を実施した記録
(2)阿波の国において,関寛斎以外で種痘を実施した医者
- 回答
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(1)
関寛斎が徳島時代に行った首都運関する記録として,当館に所蔵しているものは次のとおりです。
a.『関寛斎 伝記・関寛斎』(伝記叢書)昭和11年(1936)に伝記作家鈴木要吾によって編纂された非売品が子孫によって刊行されたもの。
p.127 関先生年譜「明治二十五壬辰年 六十三歳/三月中貧者の子弟に種痘を施し,うえらるること一千五百人に及べり」
b.『関寛斎』陸別町教育委員会/編
p.47 寛斎の足跡(年表)「1989 明治24年(61歳)3月 貧者の子弟に無料種痘(1897までに5700人に達する)。
c.『関寛斎 最後の蘭医』 戸石四郎/著
p.128 「無料種痘の奉仕も,山梨以来,引き続きひろく実行された。」
p.231 関寛斎 略年譜 「1891 明治24年 61歳 貧者の子弟に無料種痘」
d.『関寛斎 蘭方医から開拓の父へ』 川崎巳三郎/著
p.206 関寛斎「1892年 62歳 3月,貧者の子弟1500名に無料種痘」
他の資料も確認したが,同様の記述で,より詳細な情報や,実施年度を確認できるような資料を見つけることはできなかった。
(2)関寛斎以外に種痘を実施した医師は,次の人物がいます。
○井上不鳴(1912-1892)
徳島県に種痘を伝えた。
長崎に留学して種痘を学んで帰郷し,1850年(嘉永3)に初めて県内の4人の児童に接種したと伝えられる。
関寛斎『家日誌抄』の慶応2年11月24日の項に「多姫様、種痘の用仰せられるに付、11月2日井上仲司(?)種痘さし上
げる」とあるが,この井上という藩医が不鳴かどうかはわかっていない。
○河野並枝(1813-1890)
徳島県に種痘を伝えた。主に板野,阿波両郡地方で種痘を広めた。
○小室匡世(1859-1921)
痘苗の研究をはじめ,その製造と種痘の普及に努めた。
上記の医師については,下記の資料に解説がある。
e. 『徳島県百科事典』p.648 徳島県の種痘史
p.157 井上不鳴
f. 『徳島県医師会史』p.130 種痘医の制度
g. 『阿波洋学史の研究』p.105-110 井上春洋(不鳴)
井上の弟子 土肥春造
井上の弟子 田村共平
p.110-111 西宇周造(1777-1858)
河野並枝(1813-1890)
林周榮(不明)
p.716-719 關生三(關寛斎の長男)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 内科学 (493 8版)
- 参考資料
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- 『関寛斎 伝記・関寛斎 伝記叢書』 (T281セキ13p.127鈴木要吾/編 大空社 1998.12)
- 『関寛斎』 (T281セキ12p.47陸別町教育委員会/編 陸別町教育委員会 1994.3)
- 『関寛斎 最後の蘭医』 三省堂選書 (T281セキ4p.128 p.231戸石四郎/著 三省堂 1982.8)
- 『関寛斎 蘭方医から開拓の父へ』 新日本新書 (T281セキ3p.206川崎巳三郎/著 新日本出版社 1980.9)
- 『徳島県百科事典』 (T030トク22p.648 p.157徳島新聞社調査事業部/編 徳島新聞社 1981.1)
- 『徳島県医師会史』 (T490トク52p.130徳島県医師会/編 徳島県医師会 1976)
- 『阿波洋学史の研究』 (T400サコp.105-110 p.110-111 p.716-719佐光昭二/著 教育印刷)
- キーワード
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- 種痘 ワクチン 予防接種 痘瘡
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000314395