レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022/03/28
- 登録日時
- 2022/04/02 00:30
- 更新日時
- 2022/04/10 10:54
- 管理番号
- 秋田-2730
- 質問
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解決
秋田県出身で生活綴方教育者の木村文助について
1.小番績著『木村文助の仕事と生涯』(秋田さきがけ、2001年)という資料はあるか。
2.木村文助著『村の綴り方』に登場するM村は真中村か前田村のどちらか。
- 回答
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1.下記の新聞記事を案内。
①秋田魁新報2001年9月10日夕刊9面「木村文助の仕事と生涯 畠山義郎、村の綴り方を読む」
2.真中村について該当する記述を確認。下記の資料を案内。
②『村の綴り方』(木村文助/著、厚生閣書店、1929、37-E242/142/)資料番号:110800968
③『秋田県管内職員録 明治44年5月現在』(滝沢庫治/編、滝沢庫治、1911、A280/15/1911)資料番号:110788858
④『秋田県管内職員録 明治45年5月現在』(滝沢庫治編、滝沢庫治、1912、A280/15/1912)資料番号:110788866
⑤『秋田県管内職員録 大正3年版』(1914、 A280/15/1914)資料番号:110788916
⑥『秋田県管内職員録 大正7年版』(秋田社/編、秋田社、1918、A280/15/1918)資料番号:110788924
⑦『大館市史 第3巻 上 近・現代編(明治・大正編)』(大館市史編さん委員会/編、大館市、1983、214.2/オオ/3-1郷)資料番号:111326351
⑧『大館市史 第4巻』(大館市史編さん委員会/編集、大館市、1981、214.2/オオ/4郷)資料番号:124017575
⑨『前田村郷土史 森吉町史資料集 第14集』(藤島勇太郎/監修、森吉町史編纂会、2004、214.2/モア/郷)資料番号:128965332
- 回答プロセス
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1.所蔵資料検索、県内横断検索、NDLサーチ検索、Cinii検索(キーワード:「木村文助の仕事と生涯」「小番績」)
→書籍は該当せず。
2.インターネット検索(キーワード:「木村文助 小番績」)
→下記ホームページが該当。
大野文化財保護研究会 木村文助研究 通信5号
http://iruka.g.dgdg.jp/bunpoken/tuusin/bun-nenpyou.pdf
(確認日付:2022.3.28)
「秋田県で載った新聞紹介 小番績氏 木村文助の仕事と生涯-畠山義郎、村の綴り方を読む」と記載あり。
3.『村の綴り方 木村文助の生涯』(畠山 義郎/著、無明舎出版)が2001年7月15日発行だったことから、以後の秋田魁新報のマイクロフィルムを確認(データベース対象外の期間)。
→下記記事が該当。
①秋田魁新報2001年9月10日夕刊9面「木村文助の仕事と生涯 畠山義郎、村の綴り方を読む」
4.事前調査資料を確認。
②『村の綴り方』(木村文助/著、厚生閣書店、1929、37-E242/142/)資料番号:110800968
→P134「М村民の生活史」に「丁度此時、私は此村の學校に赴任したのであったが、村長も私立大學選出の少壮のT氏が選任され」と記載あり。
5.木村文助の真中村、前田村との関わりについて確認。インターネット検索(キーワード:木村文助)
→下記ホームページが該当。
大野文化財保護研究会 木村文助年表
http://iruka.g.dgdg.jp/bunpoken/tuusin/bun-nenpyou.pdf(確認日付:2022.3.28)
明治44年に真中村尋常高等小学校、その後大正4年に前田尋常高等小学校に赴任(大正6年まで)。
6.木村文助が真中小、前田小在任時(明治44年から大正6年)の村長を確認。
→「村長のT氏」として該当したのは真中村の富樫村長。
③『秋田県管内職員録 明治44年5月現在』(滝沢庫治/編、滝沢庫治、1911、A280/15/1911)資料番号:110788858
→P124 眞中村村長 虻川常清、P126 前田村村長 庄司兵吉
④『秋田県管内職員録 明治45年5月現在』(滝沢庫治編、滝沢庫治、1912、A280/15/1912)資料番号:110788866
→P173 眞中村村長 富樫庄治、P174 前田村村長 庄司兵吉
⑤『秋田県管内職員録 大正3年版』(1914、 A280/15/1914)資料番号:110788916
→町村役場P8 眞中村村長 富樫庄治、町村役場P9 前田村村長 庄司兵吉
⑥『秋田県管内職員録 大正7年版』(秋田社/編、秋田社、1918、A280/15/1918)資料番号:110788924
→P165 眞中村村長 富樫庄之助、P167 前田村村長 庄司兼松
7.「船着場」「鉄道」「リンゴ」「養蚕」「戸数」をキーワードに、真中村(現大館市)、前田村(森吉町→現北秋田市)の郷土誌(史)を調査。
⑦『大館市史 第3巻 上 近・現代編(明治・大正編)』(大館市史編さん委員会/編、大館市、1983、214.2/オオ/3-1郷)資料番号:111326351
→P313「真中でリンゴ栽培が現在も盛んであるが、これらの果樹経営の振興経過については不明で、明治のころから行っていたと伝えられてはいる」
→P504-505「第75表 明治41年大館地方町村別の蚕糸業調」に真中村の記載あり
→P506-507「第76表 大正期の大館地方の飼養戸数と収繭高」に真中村の記載あり
⑧『大館市史 第4巻』(大館市史編さん委員会/編集、大館市、1981、214.2/オオ/4郷)資料番号:124017575
→P624「舟場は、鉄道が敷かれ道路が完備されるまで、文字通り大館町への物資の輸送に大きな役割を持ち、米代川を往来する船や船客の宿場町でもあった。(中略)舟場から米代川対岸の真中、二井田村へ連絡するために橋がかけられ 、この橋を田中橋と呼んでいる。」
⑨『前田村郷土史 森吉町史資料集 第14集』(藤島勇太郎/監修、森吉町史編纂会、2004、214.2/モア/郷)資料番号:128965332
→P121「前田村蚕糸組合ありて、これが奨励をなしつゝあれど、未だ一部分に行はるゝのみ、従って産額もまた多からず(繭産額累年比較 明治42年度ー大正6年度あり)」
→P177「明治・大正・昭和 人口調査票」※明治42年から昭和6年まで、600~800戸で推移
記載のなかった資料は以下のとおり。
・『村の綴り方 木村文助の生涯』(畠山 義郎/著、無明舎出版、2001、289/キム/郷)資料番号:124274630
- 事前調査事項
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『村の綴り方』(木村文助/著、厚生閣書店、1929、37-E242/142/)資料番号:110800968
→P132「М村民の生活史」には、かつて「船着場」であったが「鉄道」開通でさびれ、リンゴと養蚕が盛んだったがこれも廃れたこと、戸数は三百余戸であったことが記されている。
- NDC
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- 社会科学 (3)
- 参考資料
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- 村の綴り方木村文助/著厚生閣書店
- 秋田県管内職員録明治44年5月現在滝沢庫治/編滝沢庫治
- 秋田県管内職員録明治45年5月現在滝沢庫治編滝沢庫治
- 秋田県管内職員録大正3年版
- 秋田県管内職員録大正7年版秋田社/編秋田社
- 大館市史第3巻 上大館市史編さん委員会/編大館市
- 大館市史第4巻大館市史編さん委員会/編集大館市
- 前田村郷土史藤島勇太郎/監修森吉町史編纂会
- キーワード
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- 木村文助(キムラブンスケ)
- 生活綴方(セイカツツヅリカタ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000314627