レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022年10月18日
- 登録日時
- 2023/08/13 16:32
- 更新日時
- 2023/08/15 10:39
- 管理番号
- 0000002539
- 質問
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解決
一乗谷朝倉氏居館の「花壇」は日本最古として有名ですが、この遺構を花壇と名付けたのは誰か知りたい。あるいは、朝倉氏の同時代文献に花壇の名称が使われていたのか知りたい。
- 回答
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下記資料に、「福井県の一乗谷朝倉館跡では昭和43年の発掘調査で(中略)長方形の花壇跡が発見されている」とあります。
飛田範夫∥著. 『日本庭園の植栽史』. 京都大学学術出版会, 2002.12【629.2/ヒタ】:p344-345
下記資料の庭園の項、長方形の遺構についての説明のあと、「何のための施設か判断に苦しむが、花壇と推定すると、すべてうまく説明できるようである」とあります。この部分の執筆者は、奈良国立文化財研究所牛川喜幸氏です。
『一乗谷朝倉氏遺跡 1』. 足羽町教育委員会, 1969.3【H214/A2/1-1B】:p5
「花壇」という言葉そのものの歴史については、下記資料に「「花壇」の語がはじめて現れるのは『看聞御記』応永25年(1418)2月28日条で、以後『陰涼軒日録』『実隆公記』など、室町時代後半の文献にその用例が見える」とあります。
飛田範夫∥著. 『日本庭園の植栽史』. 京都大学学術出版会, 2002.12【629.2/ヒタ】:p343
小野健吉∥著. 『岩波*日本庭園辞典』. 岩波書店, 2004.3【629.2/オノ】:p62-63
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 北陸地方 (214 8版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000337229