レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023年06月02日
- 登録日時
- 2023/09/20 13:09
- 更新日時
- 2023/09/22 11:41
- 管理番号
- 000011061
- 質問
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解決
豊臣秀吉が埴生(はぶ、山陽小野田市)に宿陣したらしいが、そのことが記載されている古文書や明確な場所等が分かれば知りたい。
- 回答
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豊臣秀吉が埴生に立ち寄ったという記録が記載された「豊臣秀吉上洛諸泊次第写」という古文書等は見つかったが、明確な場所までは記載されていなかった。
下記資料1『山陽町史』p297に豊臣秀吉が埴生に宿陣したことが記載されており、p456には『温山紀行』という書籍を基にしたとある。
『温山紀行』について調査したが、著者が川北温山という情報以外は分からず、所蔵館やデジタル化された資料も見当たらなかった。
資料2『大日本地名辞書第二冊』p1179の厚狭川の項目にも豊臣秀吉が立ち寄ったとあり、『温山紀行』を参照したとある。
資料3『角川日本地名大辞典 35 山口県』埴生の項目(p680-681)には、「「小早川家文書」2(大日古)所収の豊臣秀吉上洛諸泊次第写によれば、秀吉は当地で休息をとっており、文禄2年7月秀吉は赤間関(あかがせき)に対し、昼夜に限らず継飛脚1人を使わすよう命じている。(閥閲録遺漏3-3)」」とあったため、「豊臣秀吉上洛諸泊次第写」と「閥閲録遺漏3-3」について調べた。
「豊臣秀吉上洛諸泊次第写」については、資料4『大日本古文書 家わけ十一ノ二 小早川家文書之二』p382-383に収録されており、「はふ(埴生) あいのま」とある。
また、資料5『萩藩閥閲録遺漏』p195には、『角川日本地名大辞典 35 山口県』に記載されていた原文がある。
- 回答プロセス
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『山陽町史』を確認し、豊臣秀吉が埴生に立ち寄った記録を確認し、基となった文献を調査した。
『角川日本地名大辞典 35 山口県』の埴生の項目を確認し、そこに記載されている文献を調査した。
- 事前調査事項
- NDC
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- 中国地方 (217 9版)
- 参考資料
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1.山陽町史編集委員会 編 , 山陽町教育委員会 (山口県). 山陽町史. 山陽町教育委員会, 1984.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001696090-00 (p297,456) -
2.吉田 東伍 著 , 吉田 東伍. 大日本地名辭書 第二部. 冨山房, 1904.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I060661464-00 (p1179) -
3.「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編纂. 角川日本地名大辞典 35 (山口県). 角川書店, 1988.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001948933-00 , ISBN 4040013506 (p680-681) -
4.東京大学史料編纂所 編纂 , 東京大学史料編纂所. 大日本古文書 家わけ11ノ2. 東京大学出版会, 1997.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000008441515-00 , ISBN 4130911171 (p382-383) -
5.山口県文書館 編集・校訂 , 山口県文書館. 萩藩閥閲録遺漏. 山口県文書館, 1971.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001215324-00
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1.山陽町史編集委員会 編 , 山陽町教育委員会 (山口県). 山陽町史. 山陽町教育委員会, 1984.
- キーワード
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- 山口県--歴史--近世
- 照会先
- 寄与者
- 備考
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『山陽町史』『大日本地名辞書第二冊』に引用がある『温山紀行』の埴生に関する記述については、河北温山の「扈駕余賞」に該当する記載があり、以下の資料に収録されている。
川北重熹 著『温山文』中,金声堂,明14.11. 国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/893422 (参照 2023-09-22) 図書館・個人送信限定資料
※該当部分は40コマ目にあたる。
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000338874