レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018年05月07日
- 登録日時
- 2020/04/09 13:15
- 更新日時
- 2020/04/09 13:15
- 管理番号
- 9000024732
- 質問
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解決
明治十年代に国家免許の医師となり境川村で医業を営んだ「中澤祐甫」を調べたい。
- 回答
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『境川村誌』によると、村内の開業医「中沢医院」の三代目として中沢祐甫の名前が確認できる。明治9年より県病院内の医学校にて内科外科を学び、明治17年に医師免許症状を受け、大正始めまで医業に精励していた。
- 回答プロセス
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1.境川村・東八代郡関係資料調査
『境川村誌』p.805 村内の開業医についての記載の中に「中澤医院」の項があり、3代目として「中沢祐甫」の記述あり。最初は漢方を学び明治9年9月より県病院に於いて内科外科を学び、明治17年法の規定により医師免許証状を受け、大正の始めまで偉業に精励していた。4代目保文は大東亜戦争のため、郷里原に疎開し、昭和21年3月より26年3月まで施療にたずさわっていたが、終戦後東京都へ転出していった。
『東八代郡誌』p.541に大正3年の東八代医師会の名簿が掲載されている。
2.山梨県内の医療医療関係資料調査
『山梨県立中央病院史』p.150 明治10年ごろ病院内県立医学校についての記載中、訳書生の試問で好成績を挙げたもの(乙賞3名)の中に「中沢裕甫」(裕は誤植と思われる)の名前あり。
『笛吹市医師会百周年記念誌』巻頭の東八代郡医師会名簿に名前掲載。1905(明治38)年より1920(大正9)年まで掲載されている。具体的な活動内容は不明。4代目の中沢保文は、1948(昭和23)年から1949(昭和24)まで眼科医として掲載されている。
3.人名辞典調査
『山梨鑑 上』p.345に「藤垈村 医師 中澤祐甫 内外科医」と記述。名前は確認できるが、詳細不明。
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289 10版)
- 医学 (490 10版)
- 参考資料
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境川村/編 , 境川村. 境川村誌. 境川村, 1978.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I005544756-00 (p.805) -
山梨県立中央病院/編 , 山梨県立中央病院. 山梨県立中央病院史. 山梨県立中央病院, 1982.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I005733354-00 (p.150) -
百周年記念誌編纂委員会/編集 , 笛吹市医師会. 笛吹市医師会百周年記念誌 : 医療をこえて…医師会活動一世紀の歩み. 2009.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I005565757-00 (巻頭 pp.65-66) -
小幡 宗海/共編 , 小幡‖宗海. 山梨鑑 上巻 復刻. 国書刊行会, 1982.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I005732307-00 (p.345)
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境川村/編 , 境川村. 境川村誌. 境川村, 1978.
- キーワード
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- 境川村
- 医師
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000280380