レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020年01月17日
- 登録日時
- 2020/01/17 14:50
- 更新日時
- 2020/01/24 09:36
- 管理番号
- 秋田-2393
- 質問
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解決
伊多波英夫編『秋田現代文芸年誌』(秋田ほんこの会)に、『昭和32年3月8日に秋田魁新報夕刊に「さきがけ詩壇」開設。社選で出発するが35年から選者(三ヶ月交替)制とする。』とあるが、どういった方が選者だったのか知りたい。
- 回答
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選者についてすべて記載された資料、選者を紹介した資料は確認できず。
『秋田魁新報』連載の「さきがけ詩壇」には毎回選者の名前が掲載されている。その他選者について分かる資料は下記のとおり。
1.『秋田市史 第十四巻 文芸・芸能編』(秋田市編集、秋田市、1998、214.5/アア/14郷)資料番号:124205527
2.『秋田魁新報百二十年史』(秋田魁新報社史編修委員会、秋田魁新報社、1995、071/アア/)資料番号:124142282
- 回答プロセス
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さきがけ詩壇について記載が確認できる資料は以下のとおり。
国立国会図書館サーチより「さきがけ詩壇」のキーワードで検索。
①の資料に関連する記載あり。
①『秋田市史 第十四巻 文芸・芸能編』(秋田市編集、秋田市、1998、214.5/アア/14郷)資料番号:124205527
⇒p423から第三章第四節に近代・現代の現代詩についての記述あり。
その中のp435に「北村哲三は北本哲三のこと。(中略)さきがけ詩壇の選者ともなって後進を育てる一方で」とある。
p437に『秋田魁新報に「さきがけ詩壇」が設けられるのは社内の発案による昭和三十二年からであり、新聞投稿は七年の空白がある。』とある。
p454に「さきがけ詩壇の創設」との見出しあり。その後に『新年文芸応募に詩を含めていた秋田魁新報は、三月八日付夕刊で「さきがけ詩壇」を創設、秋田市高垣隆、横手市石塚昌男の作品を載せてスタートした。「月刊さきがけ」が廃刊されてから七年を経ていた。』との記述があり、p454からp455にかけて「探検」という題名で高垣隆氏の詩が掲載されている。
また同じくp455に「投稿規定は、自由詩であること、題名、作者名とも一四字三〇行以内。社選であったが、二年後には選者名が明らかにされ県内の詩人が三ヵ月交代になった。」と記載あり。
②『秋田魁新報百二十年史』(秋田魁新報社史編修委員会、秋田魁新報社、1995、071/アア/)資料番号:124142282
⇒年表のp72の昭和32年(1957)の3月8日に「夕刊文化面に『さきがけ詩壇』を新設。漢詩を対象にした『魁詩壇』は終戦とともに自然消滅していた。」との記述を確認。
- 事前調査事項
- NDC
-
- 総記 (0)
- 参考資料
- キーワード
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- さきがけ詩壇
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 一般
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000272659