レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023年07月26日
- 登録日時
- 2023/11/08 15:41
- 更新日時
- 2023/11/11 10:15
- 管理番号
- 000011069
- 質問
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解決
美祢市にある「祖父ヶ瀬」という地名の由来(特に、「祖父」と書いて「オジ」と読ませる事の由来)について、また、同地の位置を示した地図について知りたい。
- 回答
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「祖父ヶ瀬」の地名の由来について、明確に記した資料は見当たらなかった。ただし、「叔父」を「祖父」と書き誤ったものとする江戸期の地誌が見つかった。また、もともと「大内ヶ瀬」であったものが「祖父ヶ瀬」になった、と解することができる資料もあった。
下記資料1『防長風土注進案』は、江戸期に作成された地誌。美祢郡大嶺(おおみね)村にある「祖母(をは)ヶ河内」という地名について、次のような割注が付されている。「旧名伯母ヶ河内なるへし今誤て祖母と改ておばと訓す」とある。続けて「又小村に祖父ヶ瀬といへるも是に類す、此類間々多し里人の文盲なるを知るへし、されとも旧く誤り来りたれば、是を改す」とある。同書の記述によるならば、「祖父ヶ瀬」はもともと「伯父ヶ瀬」であり、地域の人々が誤って「祖父ヶ瀬」という表記とした、ということになる。
また、美祢市の市史である資料2に、美祢市内にかつてあった一里塚に関する表がある。この表は、資料1『防長風土注進案』に記載された一里塚と、それより前に作られた絵図である「地下上申絵図」に描かれた一里塚を対応させたものになっており、資料1『防長風土注進案』p393にみえる「祖父ヶ瀬」の一里塚に対応するものとして、「地下上申絵図」の「大内ヶ瀬」の一里塚が挙げられている。つまり、「祖父ヶ瀬」と「大内ヶ瀬」は同じ場所を指しており、「祖父ヶ瀬」は、かつて「大内ヶ瀬」と呼ばれていた可能がある。なお、資料2には「大内ヶ瀬」の読みは記載されていない。
同様に、萩から下関を結ぶ江戸期の街道である「赤間関街道」についてまとめた資料3では、「赤間関街道」のうち、萩から美祢を通って下関に向かう「中道筋」の解説部分のp134で、「祖父ヶ瀬(大内ヶ瀬)」と表記しており、「祖父ヶ瀬」と「大内ヶ瀬」が同一の場所であるとみなしている。この資料にも「大内ヶ瀬」の読みは付されていない。
なお、「祖父ヶ瀬」の位置が美祢市全体との関係で分かりやすい地図として、資料4に収録されている地形図「道路地図がある。地図の中央上部に「祖父ヶ瀬」とある。美祢市中心部(美祢市役所がある美祢市大嶺町)から西にあたる位置にあり、周囲には、JR美祢線の「南大嶺駅」がある。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (291 9版)
- 参考資料
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1.山口県文書館 編 , 山口県文書館. 防長風土注進案 : 吉田宰判 16. 山口県立山口図書館, 1961.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I060489207-00 (p385) -
2.美祢市史編集委員会 編 , 美祢市. 美祢市史. 美祢市, 1982.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002230962-00 (p573) -
3.山口県教育庁文化課 編 , 山口県教育委員会. 歴史の道調査報告書赤間関街道. 山口県教育委員会, 1996.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I075295277-00 (p134) -
4.国土地理院 [編] , 国土地理院. 山口県地形図 : 25000分の1. 国土地理院, 1970.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I060534013-00 (「伊佐」)
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1.山口県文書館 編 , 山口県文書館. 防長風土注進案 : 吉田宰判 16. 山口県立山口図書館, 1961.
- キーワード
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- 山口県--地名
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土 地名
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000340792