レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023年03月02日
- 登録日時
- 2023/03/17 18:55
- 更新日時
- 2023/04/11 20:23
- 管理番号
- 県立長野-22-220
- 質問
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解決
伊那郡夏目村は、現在のどこか。『徳川家康のすべて』ワン・パブリッシングp.95にある「夏目広次(吉信)」の記載事項に、「夏目氏は信濃国伊那郡夏目村の地頭職の出」とあった。また、夏目漱石と関係があるのか。
- 回答
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問い合わせの「夏目氏は信濃国伊那郡夏目村の地頭職の出」という記述は、『寛政重修諸家譜 第6巻』群書類従完成会 1980【288.2/タミ/6】 p.159(巻第348)清和源氏 満快流の夏目 に
「泰衡追討のとき軍功ありしにより、伊那郡夏目村の地頭職となる。其子國平がときに至り、夏目を
もって家号とす」
とあり、この國平の流れに吉信があることから、この記述を基にしてのものと思われる。
長野県内には、上記の記述に合致する伊那郡夏目村は確認できなかった。夏目氏の本拠となる「夏目村」については、いくつか説があるので、紹介した。
『角川日本姓氏歴史人物大辞典20 長野県』 角川書店 1996 【288.1/カド/20】 p.874「夏目」には、水内郡夏目(信州新町)から起こる夏目氏と、下伊那郡売木村の夏目姓をあげている。
水内郡の夏目氏については、
『尊卑文脈』に「満快五世孫為邦(村上源判官代)-国高-二柳三郎大夫国忠(泰衡追討の賞に依り
て、信乃国夏目村地頭職を賜ひ了んぬ)」とあり、国忠が夏目に住して夏目氏を名乗ったと思われ
る(姓氏家系)。
と紹介している。また、売木村の夏目姓については、同村の宝蔵寺開基が夏目長兵衛で、隣の豊根村(愛知県)にも夏目姓が多いとかかれている。新野(長野県阿南町)に関氏が来着した際に夏目氏も伴ったという説もある。
『阿南町誌 上巻』 阿南町誌編纂委員会編 阿南町 1987 【N243/141/1】p.571の中世 「下条氏の伸長と家臣団」の節で、この時期の新野地域について、
「新野 応永以来関氏五代の居住地。吉沢・村松・勝野・夏目・鈴木・金田・井深等あり天文十三
年以降下条家の給人後帰農。(-後略-)」
とあったが、これ以上詳細な記述は確認できなかった。
『長野県の地名』 平凡社(日本歴史地名大系20)1979【N290.3/54】及び『角川日本地名大辞典20 長野県』 角川書店 1990 【N293/18】ともに、伊那郡の夏目村についての記載はなかったが、長野県内に夏目という地名は何ヶ所かあり、
水内郡 夏目 (上水内郡信州新町 現在の長野市信州新町)
小県郡 棗田村(小県郡東部町 現在の東御市)
についての記載がある。夏目氏についての記述はない。
なお、『長野県小県郡史』 長野県小県郡役所編 千秋社 1998(小県郡役所 大正11年刊の復刻)【N221/165】p.305-310に鎌倉期におけるこの地域の氏族について記述があり、源満快系為邦流に国忠、国平について記述がある。
「此夏目村は後の夏目田村にして現今は県村縣区夏目田組是なりといふ」
とあった。
加えて、江戸時代佐久郡岩村田の地方史家である吉沢好謙「信濃地名考」(『新編信濃史料叢書 第1巻』信濃史料刊行会編・刊 1970【N208/43/1】所収)[国立国会図書館デジタルコレクションで図書館送信・個人送信で公開 最終確認2023.3.19]の海野郷(p.23)の項目中に
「又夏目田てふ村有、夏目左近将監国平奥州の役泰衡追討の賞として、信濃国夏目村の地頭職を賜
ふといへるは此地にや 国平、源満快後、伊奈太郎為扶之孫にて、 二柳国忠之二男といへり」
とある。
この海野郷の夏目田村は、上記の棗田村のことと思われる。
また、『夏目漱石と信州』 中田敬三著・刊 2016 【N902/468】p.11-23で、夏目漱石の祖先が出である夏目村の所在について、3つの説を紹介している。
・下伊那郡売木村周辺(夏目村の位置は特定していない)
・上水内郡信州新町(現在の長野市信州新町)の新町・上条・越道を含む地域(奈津女)
・長野市篠ノ井石川に「夏目平(ひら)」という地名
長野市篠ノ井の説については、郷土史雑誌である『長野』第97号、131号を案内している。
・春日学「篠ノ井二ツ柳の山城-夏目氏発祥地-」『長野』 第97号 p.35-38
・柳沢久博「篠ノ井下石川の古い城(ジョウ)」『長野』 第97号 p.38-39
・「篠ノ井・信更」『長野』第131号 p.127-132の内、<二ツ柳神社城址><湯ノ入神社城址と夏目平>
なお、史料の多くが典拠としている「尊卑文脈」に関しては、『国史大系 60上 尊卑分脈3』 改訂増補版 黒板勝美編 吉川弘文館 2001 【210.08/クカ/60-1】p.100に国忠(二柳三郎大夫)がある。「依泰衡追討之賞賜信濃国夏目村地頭識畢」と説明書きがされている。子どもに国平があり、(夏目左近将監)とある。
夏目氏の本拠については、紹介してきたとおり諸説あるが、定まった見解はまだないと思われる。また、夏目村と夏目漱石との関係も、夏目村自体がはっきりしていないため、現在のどの地域か言及はでないが、『夏目漱石と信州』(前掲)が漱石の家系図などの研究について、『夏目漱石 1』小宮豊隆著 岩波書店 1953 【910.26/ナツ/1】p.1-16を引用しながら書いている。
- 回答プロセス
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1 長野県の地名を調べる際によく使われる『長野県の地名』 平凡社(日本歴史地名大系20)1979【N290.3/54】及び『角川日本地名大辞典20 長野県』 角川書店 1990 【N293/18】ともに、伊那郡の夏目村についての記載は確認できない。
2 『長野県の地名』には、p198に「棗田(なつめだ)村」、p.947に「夏目」がある。『角川日本地名大辞典20 長野県』にも、p.839-839「夏目」「棗田村」がある。
水内郡 夏目 (上水内郡信州新町 現在の長野市信州新町)
小県郡 棗田村(小県郡東部町 現在の東御市)
の記述になっている。夏目氏についての記述は確認できない。
3 『角川日本姓氏歴史人物大辞典20 長野県』p.874「夏目」を見る。水内郡夏目(信州新町)の夏目氏と、下伊那郡売木村の夏目姓を紹介している。
4 『売木村誌 上巻』売木村誌編纂委員会編 売木村誌刊行委員会 2006 【N243/231/1】 中世以降、江戸初期までの歴史、地名に関する記述がある部分、宝蔵寺、関氏に係る記述の部分も調べたが、夏目という地名、夏目氏に関する記述は確認できなかった。
5 3の資料が新野(阿南町)についても触れていたので、『阿南町誌 上巻』を確認する。
6 伊那郡内に夏目村が確認できないため、『寛政重修諸家譜 第6巻』で「夏目氏」を調べる。p.159(巻第348)清和源氏 満快流の夏目 に問い合わせの記述の基になったと思われる
「泰衡追討のとき軍功ありしにより、伊那郡夏目村の地頭職となる。其子國平がときに至り、夏目を
もって家号とす」
があり、この國平の流れに吉信を確認した。
7 『国史大系 60上 尊卑分脈3』 でも、系図を確認する。
8 長野県内の夏目の地名がある地域を確認する。『信州新町史 上巻』 信州新町史編さん委員会編 信州新町 1979 【N212/148/1】を調べるが、夏目氏につながる記述は見られず、地名としての記述にとどまる。
9 同じように『長野県小県郡史』を見る。夏目氏についての記述があり、「この夏目村は後の夏目田村」と言及している。出典として、『尊卑分脈』『信濃地名考』などをあげている。
10 『新編信濃史料叢書 第1巻』所収の「信濃地名考」を確認する。
11 当館所蔵の郷土資料を「夏目漱石」で検索すると、『夏目漱石と信州』がヒットした。内容確認すると、夏目村の所在について、3つの説を紹介していた。このうち、長野市篠ノ井石川に「夏目平(ひら)」という地名については、上記調査の中に全く入っていなかったので、この資料が出典としている論文
・春日学「篠ノ井二ツ柳の山城-夏目氏発祥地-」『長野』 第97号 p.35-38
・柳沢久博「篠ノ井下石川の古い城(ジョウ)」『長野』 第97号 p.38-39
・「篠ノ井・信更」『長野』第131号 p.127-132の内、<二ツ柳神社城址><湯ノ入神社城址と夏目平>
を確認する。
12 『夏目漱石と信州』では、夏目漱石の家の「夏目家」については、『夏目漱石1』小宮豊隆著 岩波書店 1953 の記述を紹介していたので、原典を確認した。夏目家の系図も、『寛政重修諸家譜』などの記述をもとに、夏目國平の流れに連なると伝えられているようだ。
<調査資料>
・吉沢好謙「信陽雑誌 巻14」
『新編信濃史料叢書 第4巻』信濃史料刊行会編・刊 1971【N208/43/4】所収)p.43
「建久元年庚戌、文治六年四月改元」の年の項目に夏目村の記述あり。
・『下伊那史 第5巻 鎌倉時代』下伊那教育会編 下伊那誌編纂会 1967 【N243//18/5】
伊那郡の諸族に関する記述がある箇所がp.29-158, 259-282、地頭に関する記述がp.216-248にあるが、夏目氏、および夏目という領地についての記述は確認できない。
・『下伊那史 第6巻 室町時代』下伊那教育会編 下伊那誌編纂会 1970【N243//18/5】
下伊那郡の諸族に関する記述がある箇所に、夏目氏、および夏目という領地についての記述は確認できない。
・『信州新町史 上巻』 信州新町史編さん委員会編 信州新町 1979 【N212/148/1】
・『東部町誌 歴史編上』 東部町誌編纂委員会編 東部町誌刊行会 1990【N221/110/4-1】
・『田中のあゆみ』 [中心市街地活性化協議委員会] 2017【N221/272】
・『祢津誌』 祢津地区活性化委員会 2013【N221/253】
- 事前調査事項
- NDC
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- 中部地方 (215 10版)
- 日本 (291 10版)
- 系譜.家史.皇室 (288 10版)
- 参考資料
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寛政重修諸家譜 第6 新訂. 続群書類従完成会, 1980.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I015676863-00 (【288.2/タミ/6】) -
竹内理三 [ほか]編纂. 角川日本姓氏歴史人物大辞典 20. 角川書店, 1996.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002541302-00 , ISBN 4040022009 (【288.1/カド/20】) -
日本歴史地名大系 20. 平凡社, 1979.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I005629726-00 , ISBN 4582490204 (【N290.3/54】) -
長野縣小縣郡 [著] , 小県郡 (長野県). 長野県小縣郡史 復刻版. 千秋社, 1998.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002670982-00 , ISBN 4884772342 (【N221/165】) -
中田敬三 著 , 中田, 敬三, 1932-. 夏目漱石と信州. 中田敬三, 2016.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I030055113-00 (【N902/468】p.11-23)
-
寛政重修諸家譜 第6 新訂. 続群書類従完成会, 1980.
- キーワード
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- 夏目氏
- 夏目村
- 信州学
- 夏目漱石
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 郷土 地名
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000330512