レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023/05/17
- 登録日時
- 2023/06/02 00:30
- 更新日時
- 2023/06/22 13:58
- 管理番号
- 14687696
- 質問
-
未解決
池田忠雄は、何年に忠長から忠雄に改名したのか知りたい。
いくつか事典類、地方史誌を確認したが、明確な時期はわからなかった。
- 回答
-
以下のとおり調査しましたが、明確に池田忠長から忠雄に名前が変わった時期について記述した資料は見当たりませんでした。
【 】内は国立国会図書館請求記号です。書誌事項末尾に◎を付した資料は国立国会図書館デジタルコレクション(国立国会図書館内/図書館・個人送信対象)資料、☆を付した資料は同インターネット公開資料です。
国立国会図書館デジタルコレクションや次世代デジタルライブラリーに加え、東京大学史料編纂所のデータベース類をキーワード<忠長>、<忠雄>、<松平宮内少輔>等で検索しましたが、改名した明確な時期を示す資料は見当たりませんでした。
以下、忠長と記されている資料をご紹介します。
資料1:山本武夫 校注『玉露叢 上 (江戸史料叢書)』人物往来社, 1967【210.52-G98】◎
https://dl.ndl.go.jp/pid/2995987/1/49
p.90(49コマ)に、慶長19年11月23日の出来事が記されており、「松平宮内少輔忠長」とあります。
資料2:『戦国史料叢書 第6』人物往来社, 1965【210.47-Se182】◎
https://dl.ndl.go.jp/pid/2987058/1/104
p.201(104コマ)に慶長20年閏6月に関する記述の中で「松平宮内少輔」の横に「池田忠長―忠雄」とあります。
資料3:東京大学史料編纂所 編『大日本史料 第12編之23』東京大学, 大正11【GB22-7】☆
https://dl.ndl.go.jp/pid/3450643/1/174
pp.318-319(174コマ)に元和元年10月4日に出した松平宮内少輔忠長の書状の翻刻が掲載されています。
資料4:信濃史料刊行会 編『信濃史料 第23巻 (元和4年7月-元和8年是歳)』信濃史料刊行会, 1965【215.2-Si459-S】◎
https://dl.ndl.go.jp/pid/3018226/1/188
p.338(188コマ)に元和7年3月の出来事として、「是月、幕府、福嶋正則ノ江戸ノ邸地ヲ、備前岡山城主池田忠長[小さく忠雄]に與フ」とあります([]内は回答者の補足)。
東京大学史料編纂所データベースをキーワード<池田忠長>で横断検索すると、元和3年9月21日に記された「池田忠長安堵状」の情報が見つかりました。ただし、本文の閲覧できるデジタルデータは公開されておらず、今回お探しの人物について書かれた資料かどうかは判断しかねます。
https://wwwap.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/w21/detail/20030313000362
この他、事前調査事項にある(レファレンス協同データベース事例:https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000324428)『鳥取藩史 第1巻 (世家・藩士列伝)』や資料4に、池田忠長は徳川家光の弟である忠長の名前を避けて、改名をしたとの記載がありました。
資料5:『新修鳥取市史 第2巻 (近世篇)』鳥取市, 1988.4【GC197-50】◎
https://dl.ndl.go.jp/pid/9576504/1/29
p.25(29コマ)に池田忠雄の名前について「のち、徳川家光の弟駿府大納言忠長の名をさけて忠雄と改名した。」とあります。具体的な年月については言及がありません。
『国史大辞典』によると徳川家光の弟である忠長の童名は「国松」とのことです。
・国史大辞典編集委員会 編『国史大辞典 第10巻 (とーにそ)』吉川弘文館, 1989.9【GB8-60】
pp.291-292「徳川忠長」
そこで、国立国会図書館デジタルコレクションをキーワード<徳川実紀><忠長>で検索したところ、以下の資料に徳川家光の弟である忠長が、徳川家光と共に元服した旨がありました。
資料6:黒板勝美, 国史大系編修会 編『国史大系 第39巻 (徳川実紀 第2篇) 新訂増補』吉川弘文館, 1964【210.08-Ko548-Ky(s)】
p.199の上段に元和6年9月5日「國松君忠長の文字を撰進す。」、9月7日「國松君も同じく首服加へられ」とあります。
そこで、資料7を、元和6年9月以降に絞って、調査しました。
資料7:『池田家履歴略記 上巻』日本文教出版, 1963【288.3-I246】◎
https://dl.ndl.go.jp/pid/2998423
本文検索、および徳川家光の弟である忠長が元服した元和6年、7年前後を確認しましたが、改名に関する記述は見当たりませんでした。
また、備前藩藩政資料及び池田侯爵家襲蔵の図書類を含む「池田家文庫」について、岡山大学がマイクロフィルム目録のデータベースを公開しています。
・池田家文庫マイクロフィルム目録データベース
https://ousar.lib.okayama-u.ac.jp/ikedake/micro/ja
キーワード<忠長>で検索すると、徳川忠長が忠雄に送った書状の情報が見つかりました。(年代不明)
本文のデータは公開されていませんが、参考までにご紹介します。
【調査に使用した主な資料】
・倉敷ぶんか倶楽部 編『戦国・安土桃山時代の池田氏 : 池田恒興と池田輝政 (岡山文庫 ; 318)』日本文教出版, 2020.5【GK13-M251】
・鳥取市文化財団鳥取市歴史博物館 編『鳥取のお殿さま : 天下人と歩んだ池田家 : 鳥取市歴史博物館平成26年度特別展』鳥取市文化財団鳥取市歴史博物館, 2014.7【GB43-L109】
・播磨学研究所 編『池田家三代の遺産 : 姫路城の"創業者"』神戸新聞総合出版センター, 2009.8【GB43-J102】
・邑久町史編纂委員会 編『邑久町史 通史編』瀬戸内市, 2009.3【GC218-J39】
・吉永町史刊行委員会 編『吉永町史 通史編 2』備前市, 2006.12【GC218-H105】
・山手村史刊行委員会 編『山手村史 本編』山手村, 2004.12【GC218-H68】
・和気郡史編纂委員会 編纂, 和気郡史編集委員 編『和気郡史 通史編 中巻 3』和気郡史刊行会, 2002.7【GC218-H61】
・荒木祐臣 著『備前藩宇喜多・小早川・池田史談』日本文教出版, 1976.12【GC216-54】◎
https://dl.ndl.go.jp/pid/9574401
・岡山市史編集委員会 編『岡山市史 政治編』岡山市, 1964【217.5-O5342-O】◎
https://dl.ndl.go.jp/pid/2991702
・本多肇 編輯『因伯藩主池田公史略 : 藩祖池田光仲公就封三百年記念』鳥取史蹟刊行會, 1933【217.2-To74ウ】◎
https://dl.ndl.go.jp/pid/1085729
・内池英樹「元和五年の池田忠雄による大坂城普請について(続)」(鳥取地域史研究会 編『鳥取地域史研究(16)』鳥取地域史研究会, 2014 pp.59-72【Z71-C235】)
・内池英樹「元和五年の池田忠雄による大坂城普請について」(鳥取地域史研究会 編『鳥取地域史研究(15)』鳥取地域史研究会, 2013 pp.95-108 【Z71-C235】)
・「初代徳島藩主書状から見える慶長から元和期の池田家の構造」(倉敷市文書館 (アーカイブズ) 研究会 編『倉敷の歴史(23)』倉敷市総務局総務部, 2013 pp.1-17【Z8-3503】)
・乗岡実「池田忠雄による徳川期岡山城の完成と大坂城」(岡山市教育委員会文化財課 制作・編集『岡山市埋蔵文化財センター研究紀要(2)』岡山市教育委員会, 2010.3 pp.97-124 【Z71-Y220】)
【調査に使用した主なデータベース、インターネット情報等】
・国立国会図書館オンライン https://ndlonline.ndl.go.jp/
・CiNii Research https://cir.nii.ac.jp/
・東京大学史料編纂所データベース https://wwwap.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/
・国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/ja/
・次世代デジタルライブラリー https://lab.ndl.go.jp/dl/
・HathiTrust Digital Library https://www.hathitrust.org/
・Googleブックス https://books.google.co.jp/
・ジャパンナレッジ Lib(当館契約データベース)
インターネット情報等の最終確認日:2023年5月10日
- 回答プロセス
- 事前調査事項
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『姫路城史 上巻』橋本政次著 1973 名著出版
p.668に「忠雄は初、忠長、幼字勝五郎、後新次郎と称した。」とあり。
『新編藩翰譜 第3巻』新井白石著 1977 新人物往来社
p.242によると、系図の忠雄のところに「初め忠長」とあり。
『岡山県歴史人物事典』 1994 山陽新聞社
『三百藩藩主人名事典 第3巻』 1987 新人物往来社
『三百藩藩主人名事典 第4巻』 1986 新人物往来社
『寛政重修諸家譜 第5巻』 1980 続群書類従完成会
『類聚伝記大日本史 第3巻 大名篇』 1981 雄山閣
「大名・池田忠雄の名前の変遷を知りたい。また、名前の読みは「タダオ」か「タダカツ」のどちらか。」(レファレンス協同データベース登録事例)(https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000324428)
- NDC
-
- 個人伝記 (289)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 人文(レファレンス)
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000333966