レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022/08/31
- 登録日時
- 2022/10/01 00:30
- 更新日時
- 2022/10/01 00:30
- 管理番号
- 6001057891
- 質問
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解決
『馬来語大辞典』の著者「武富正一」氏がどのような経歴を持った人物で、なぜ『馬来語大辞典』を作ろうと思ったのか、経過などが知りたい。
- 回答
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以下の資料に武富正一氏が中学を卒業してから『馬来語大辞典』を出版するまでの簡単な経歴が記載されています。
・『天草海外発展史 下巻』(北野典夫/著 葦書房 1985.12)
p.228-229「遥かなり サンダカン」
p.228の記述をまとめると、以下のようになります。
1907(明治40)年に長崎の海星中学卒業。英領ボルネオのサンダカンで邦人が経営する拓殖会社に入社。その後しばらくして英字新聞の記者となる。
1917(大正6)年一時帰国。徴兵検査を済まし再度渡航。マレー、ジャワ、スマトラ、セレベスなどを探検旅行3年の後、再び帰国。中央大学法科に学び、朝日新聞の運動部記者となる。
やがて、妻を助手にして南洋放浪時代に収集した資料の整理を始め、大東亜戦争直前に『馬来語大辞典』を出版するに至る。
辞典を作ろうと思った明確な理由については記述が見つかりませんでしたが、マレー語の有効性と日本語との親和性を確信し、マレー語の辞典を編纂することが意義深いものと考えていたようです。
・『馬来語大辞典』(武富正一/著 南方調査室/監修 欧文社 1942)
序「世界に於ける最大の寶庫たる常夏の南洋の島々を旅行してマレー語に接すると、マレー語は日本人に最も親しみ易く又簡易であり永く記憶に残る世界唯一の言語であることが分かる。(中略)現代の複雑微妙なる社会制度の下にあつて、一億有餘を數へる諸民族により依然としてマレー語が普く使用されてゐるのは蓋しマレー語が語學として學ぶに如何に平易適切であるかを如實に物語るものであらう。(中略)實際南洋に住して、貿易・行政・法律・栽培・牧畜・伐木業・鑛業・水産・金融・生産・施藥・通信・交通・宗教・其他の文化事業に携る者は、マレー語を習得すればあらゆる點に於て便利この上もないのである。(中略)著者が三十有餘年努力の結晶としてこの意義ある馬來語大辭典を上梓することにより(中略)御恩の萬分の一の御奉公をも蓋すことを得るならば、幸ひに過ぐるものはないのである。」
また同書の序に代えてでは、欧文社の社長である赤尾好夫が半ば軍の命令で急遽三か月で辞典を完成させる事になり、多大な苦労をしながらも納得のいくものを三か月で完成させた旨が書かれています。
序に加えて(赤尾好夫)「昨年十二月中旬僕は参謀本部の某大佐殿から突如本書刊行についての御相談を御受けした。相談と云ふよりもむしろ命令と云ふ方が適切であるかもしれない。(中略)僕は一時茫然として了つた。いくら何でも大型の千二百頁にも渉る大辭典を僕に三ヶ月間に本にせよと云ふのである。(中略)兎に角弊社として全力をあげたのである。(中略)僕は無理の要求を承知してやつたのである。無理をしなければ出來ないのである。著者、印刷關係、校正關係、製本關係、それ等の人達の無理の結晶が本書である。(中略)しかし内容には無理はない筈である。之が三ヶ月位で出來上つたものとは誰も思はないと思ふ。若し數ヶ年の日子を與へられても僕は大同小異のものしか出來ないと思ふ。」
辞典発行までのエピソードは以下の資料にも書かれています。ただし書かれている内容は、『馬来語大辞典』の「序に加えて」で書かれているものと同様です。
・『辞書風物誌』(惣郷正明/著 朝日新聞社 1973.5)
p.221-223「8 突貫完成のマレー語大辞典」「参謀本部の軍命令」
[事例作成日:2022年8月31日]
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- その他の東洋の諸言語 (829 10版)
- 参考資料
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- 天草海外発展史 下巻 北野/典夫∥著 葦書房 1985.12 (228-229)
- 馬来語大辞典 武富/正一∥著 欧文社 1942 (序、序に加えて)
- 辞書風物誌 惣郷/正明∥著 朝日新聞社 1973.5 (221-223)
- キーワード
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- 辞書(ジショ)
- マレー語(マレーゴ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 人物・団体
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000321975