レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023年02月22日
- 登録日時
- 2023/04/12 14:53
- 更新日時
- 2023/04/12 14:53
- 管理番号
- 福郷-202
- 質問
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解決
福岡市の大濠公園にある浮見堂について知りたい。
浮見堂は戦前の福岡市動物園内の池(オットセイ池?アシカ池?)にあったというが、このことについて確認できる資料があるか。
- 回答
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◆参考資料1所収「知っていますか?大濠公園の秘密」
p.10「大濠公園のシンボル、大池に浮かぶ「浮見堂」。実はこの浮見堂は一九四七(昭和二十二)年に移設されたものです。当時、東公園にあった福岡市立動植物園に設置されていた施設で、オットセイやアザラシなどの海獣を観察するためのものでした。戦中に猛獣類が処分され、動物園は一九四四(昭和十九)年に閉鎖。戦後、空襲を逃れた浮見堂を保存しようという市民の声で大濠公園に移設されることになりました。」とある。
◆参考資料2『西日本新聞 昭和51年5月12日 朝刊 第12面都市版』
「おおほり<18> 噴水論争」という記事に、以下の記述がある。
「中ノ島の西側、西公園寄りに、水面に突き出た銅板造りの奇妙な館がある。『浮御堂』(うきみどう)といって戦後二十二年夏、戦時中まであった東公園内の動物園からわざわざ運んだものであった。動物園ではオットセイの池にあった飾り施設。福岡市は、県所有の同公園の敷地を借りて、動物園を開設していたが、戦争が激しくなると、戦災で猛獣らが逃げ出したら危険と、動物を殺して、閉設してしまった。ところが、この敷地の借地料のことで、県と市がもめ、結局、同動物園にただ一つ残されていたこの浮御堂を、市が県に譲ることで、話がついた。」とある。
◆参考資料3『福岡市議会史 第3巻 昭和編』
p.893に昭和8年の開園当時の地元新聞の引用として以下の記述がある。
「ドイツ・ハーゲンベック動物園を模倣して造られたという象の頭を向かい合わせた同園の正門を入れば、第一に人気者のサル君の大きな住いが目につく。その向こうが海獣室、直径十間の円形の大池で、その中央には赤塗りの浮御堂があり、それには華麗な浮橋が通じて、その上からオットセイ、アザラシなどの泳いでいるのが手にとるように見える。」とある。
◆参考資料4『新修福岡市史 特別編[3]』
p.268に上記参考資料1及び2を引用した記述がある。
◆参考資料5『博多に強くなろう北九州に強くなろう 上 100の物語』
「46市民憩いの場 大濠公園」の項目中p.360に「それから途中に浮御堂がありますね。あれは昭和十九年(一九四四)、戦争が厳しくなって、東公園の動物園も猛獣が射殺され閉鎖されました。あそこのオットセイの池にあったのを持ってきたものなんです。」とある。
◇参考URL1「福岡市中央区」ウェブサイトより「大濠公園浮見堂」
(https://www.city.fukuoka.lg.jp/chuoku/kikaku/charm-kankou/ch-jouhouhassin/ukimido.html 最終確認2023.2.22)
「大濠公園の池に浮かぶ柳島から、池に突き出した格好で建っている浮見堂。この赤色に輝く浮見堂は、もともと福岡市動物園にあったものです。昭和8年8月、福岡市動物園は初め東公園に開園しました。銅板葺きで六角形の浮見堂は正門から入ってすぐの所にあるオットセイ池に建っていて、私自身、浮見堂からオットセイにエサを与えた記憶があります。しかしながら、戦争の影響で昭和19年5月、わずか11年間の歴史で福岡市動物園は閉園を余儀なくされてしまいました。飼育されていた動物は、空襲で檻が破壊されて動物が逃げ出し、市民を襲っては大変であるということで射殺されてしまいました。動物舎も取り壊されて撤去されてしまいましたが、この浮見堂だけはもったいないということで取り壊されずに残っていました。その後、動物園跡に住宅や中学校が建設されることが決まったのに合わせ、浮見堂は大濠公園に移築されることになり、それ以来、大濠公園のシンボルとして来園者に親しまれています。」とある。浮見堂の画像も確認できる。
◇参考URL2「福岡市中央区」ウェブサイトより「大濠公園」
(https://www.city.fukuoka.lg.jp/chuoku/kikaku/charm-kankou/ch-jouhouhassin/ohorikoen.html 最終確認2023.2.22)
「総面積が約40万平方メートルあり、水と緑が溢れる都会のオアシスとして親しまれています。なお、柳島に朱塗りの浮見堂がありますが、これは戦時中、東公園動物園のオットセイ池にあったものを移設したものです。」とある。浮見堂の画像も確認できる。
◇参考URL3「Ohori Park大濠公園」ウェブサイトより「沿革・歴史」
(https://www.ohorikouen.jp/about/history/ 最終確認2023.2.22)
「昭和24年 浮見堂を東公園より移設」とある。
◇参考URL4「福岡市立馬出小学校」ウェブサイトより「学校の歴史」
(https://sites.google.com/fuku-c.ed.jp/elmaidas/index/%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2 最終確認2023.2.22)
「昔(1933~1944年)、本校敷地には福岡市動植物園がありました。5096坪の敷地に哺乳類65種類164匹、鳥類124種500羽などの動物たちが住み、植物も100種余りの内容の充実さで、当時の新聞では、日本五大動植物園と遜色ないと紹介されていたそうです。しかし、太平洋戦争戦局悪化のため、その動物たちは、殺されていくという悲しい出来事がありました。その話は福岡市教育委員会が発行する人権読本『ぬくもり』に掲載されています。その後、その動植物園は現在の地に移設され、本校西側には今もなお当時の門が現存し、『福岡市有形文化財』に指定されています。なお、中庭にある池(くじら池)も、当時オットセイやアシカなどがいたそうで、大濠公園に現存する浮御堂は、この地にあったものが移設されたものです。」とある。
◇参考URL5「福岡市総合図書館」ウェブサイトより「~公文書で見る~『動物園開園の歴史』展」
(http://toshokan.city.fukuoka.lg.jp/files/Publication/Publication_292_file.pdf 最終確認2023.2.23)
p.1に「2.旧福岡市動植物園」の項があり、「昭和 19(1944)年に閉園した動植物園は,東京などの動植物園と比較しても遜色ないもので,建設費の多くは市民からの寄付でした。正門は両側の門柱からゾウの鼻が伸び,当時世界一のドイツ・ハーゲンベック動物園を模して造られました。しかし,太平洋戦争が激化すると,飼料の入手困難や爆撃による獣舎破壊のおそれから,昭和19年5月20日限りで閉園しました。写真の『ゾウの門』は現在も馬出小学校校庭の一隅に保存されています。また,アシカ池にあった六角形の浮見堂は,昭和 49 年に大濠公園に移設されて現在も浮見堂として残っています。」とある。この資料では池を「アシカ池」と呼称している。
なお同資料で「古文書資料 祝部 545 福岡市記念動植物園平面図」が転載されている。
平面図からは参考資料3で述べられた、「正門」「海獣室」の位置関係が確認できる。
◆参考資料6『ふてえがってえ 福岡意外史』
「悲しい銃声 さよなら動物園」の項中p.222に「正門のゾウの鼻が迎えた東公園動物園(昭和10年)」の写真があり、現在の浮御堂とよく似た形状の建物が確認できる。同頁中に「東公園動物園の開園は、まだ日本が平和だった昭和八年八月。子供たちの夏休みに、でっかい贈り物だ。正門は両側の門柱からゾウの鼻がのび、夢がいっぱい。当時世界一のハーゲンベック動物園(ドイツ)を模した。中に入ると、まず愛きょう者のサル舎。次に浮御堂のある池でオットセイが泳ぐ。」とある。
◆参考資料7『福岡と博多 名勝絵葉書』
「(福岡と博多名勝)世界的の奇種珍類を集めて市民を歓ばす東公園動植物園」の絵葉書の正門の奥に現在の浮御堂とよく似た形状の建物が確認できる。
◆参考資料8『福岡近代絵巻』
p.65に「東公園動植物園」の写真あり。池の中のあしかのような動物と、浮見堂と思われる櫓が写っている。
p.71に参考資料7と同一と思われる写真が掲載されている。
◆参考資料9『絵葉書に観る明治・大正・昭和 福岡・博多のあゆみ』
p.24に参考資料7と同一と思われる写真が掲載されている。
また、参考URL5に転載されていた「古文書資料 祝部 545 福岡市記念動植物園平面図」と同一と思われる図も確認できる。
◆参考資料10『ふくおか絵葉書浪漫 平原健二・畑中正美コレクション』
p.91に参考資料7と同一と思われる写真が掲載されている。
◆参考資料11『絵葉書が映す九州帝国大学と箱崎』
p.106に「福岡市記念動物園絵葉書」と書かれた絵葉書の封筒と思われる画像が掲載されている。
画像の中に浮見堂とよく似た建物が描かれている。
また同頁中に絵葉書「福岡市記念動植物園正門」の写真が掲載されており「池中にあった楼閣は大濠公園に移築された。」とある。
写真の正門の奥に現在の浮御堂とよく似た形状の建物が確認できる。
◆参考資料12『ふるさと100年 福岡市市政100周年記念』
p.90に参考資料11の写真と同一と思われる写真が掲載されている。
◆参考資料13『福岡市制施行120周年記念 福岡近代絵巻』
p.65に「東公園動植物園」の写真あり。池の中のあしかのような動物と、浮見堂と思われる櫓が写っている。
◇参考URL6「合資会社アソシエ」ウェブサイトより「デジタルアーカイブ アンティーク絵葉書にみる福岡市戦前の懐かしの動物園・水族館」
(http://www.asocie.jp/archives/fukuoka/fukuoka/animal/index.html 最終確認2023.2.22)
「記念動物園の正門」の写真の他、「F3456■記念動物園 海獣室より象舎(昭和8年)」の写真等が掲載されている。
「記念動物園 海獣室より象舎」の写真には、現在の浮見堂によく似た形状の建物が写り込んでいる。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 造園 (629 10版)
- 参考資料
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- 1 月刊はかた 2022年6月号 403号 (p.10)
- 2 西日本新聞 17 昭和51年5月12日朝刊 (12面都市版)
- 3 福岡市議会史 第3巻 (p.892-893)
- 4 新修福岡市史 特別編[3] (p.268)
- 5 博多に強くなろう北九州に強くなろう 上 (p.360)
- 6 ふてえがってえ (p.221-223)
- 7 福岡と博多 (絵葉書)
- 8 福岡近代絵巻 (p.65 p.71)
- 9 絵葉書に観る明治・大正・昭和 (p.24)
- 10 ふくおか絵葉書浪漫 (p.90)
- 11 絵葉書が映す九州帝国大学と箱崎 (p.106)
- 12 ふるさと100年 (p.90)
- キーワード
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- 福岡市動物園 東公園動物園 大濠公園 浮見堂 浮御堂 記念動物園 おっとせい池 あしか池 くじら池
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000331987