レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012年06月21日
- 登録日時
- 2019/02/02 16:52
- 更新日時
- 2019/02/02 16:52
- 管理番号
- 20120621-1
- 質問
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解決
嘉瀬川・多布施川・筑後川の歴史について調べたい
- 回答
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・嘉瀬川
この川の呼称は、大和町にある石井樋付近より上流部を川上川と呼ぶ。なお、それより下流部は嘉瀬川と記している。
(奈良期に書かれた『肥前国風土記』には佐嘉川と記されている)この川は古来荒れ川で幾度かその流れを変えている。
奈良期は、市ノ江水道・川筑後川に注いでいたと考えられている。
・多布施川
嘉瀬川から分流し、佐賀市街地南東部まで流れる人工河川。古くは嘉瀬川の本流だった時期もある。
地域の洪水防止のため石井樋を築造して嘉瀬川に放流し、飲料水、流域のかんがい用水を確保した。
水路としても利用され、川上から城下まで人や物資を運んだ。
・筑後川
古く筑紫次郎と称せられ、九重山、阿蘇山に源を発する九州第一の大河で、本町の東側と南を流れ、有明海に注いでいる。
大昔、有明海と瀬戸内海を結ぶ海峡があったものが、阿蘇の噴火や地殻の変動によって陸続きとなり、その名残にできたものが、筑後川だといわれている。
(参考文献・掲載箇所、内容)
『諸富町史』P25~P32…筑後川変遷(1筑後川の自然 2筑後川開発をめぐる政争)
『日本歴史地名大系 42』P172…多布施川
『佐賀県大百科事典』P132…嘉瀬川 P534…多布施川
『角川日本地名大辞典 41』P193…嘉瀬川 P437…多布施川
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (291)
- 参考資料
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- 『諸富町史』諸富町史編纂委員会/編集 諸富町史編纂事務局 1984
- 日本歴史地名大系 42』平凡社 1980.3
- 『佐賀県大百科事典』佐賀新聞社佐賀県大百科事典編集委員会/編 佐賀新聞社 1983
- 『角川日本地名大辞典 41』「角川日本地名大辞典」編纂委員会/編 角川書店 1982.3
- キーワード
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- 嘉瀬川(かせがわ)
- 多布施川(たふせがわ)
- 筑後川(ちくごがわ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土 地名
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000251293