レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021/01/17
- 登録日時
- 2021/12/25 00:30
- 更新日時
- 2021/12/28 14:33
- 管理番号
- 所沢富岡-2021-009
- 質問
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解決
天橋立は、いつ頃から「日本三景」として挙げられるようになったのか?
- 回答
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以下の資料に記載があります。
〇『世界大百科事典 21』 平凡社 1988年
〇『コンサイス日本地名事典』 三省堂編修所/編 三省堂 2007年
〇『失われた景観』 長谷川成一/著 吉川弘文館 1996年
〇『新日本古典文学大系 98』 佐竹昭広/[ほか]編集委員 岩波書店 1991年
〇『「日本三大」雑学236』 ナヴィインターナショナル/編著 幻冬舎 2003年
〇『逆説の日本史 別巻3』 井沢元彦/著 小学館 2012年
〇『国史大辞典 11』 国史大辞典編集委員会/編 吉川弘文館 1990年
以下のホームページに記載があります。
〇「天橋立観光協会-宮津・天橋立観光案内ウェブサイト 」
- 回答プロセス
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1.市内所蔵資料の内容を確認する
〇『世界大百科事典 21』 平凡社 1988年
p.431 「日本三景」の項目あり
※「この三つがまとまって、日本の代表的風景とされるのは、江戸初期から中期にかけてのようである。林春斎、林春徳編《日本国事跡考》(1643)に書かれたのが初めといわれているが、ここでは〈三処奇観〉と記されていた」との記載あり
〇『コンサイス日本地名事典』 三省堂編修所/編 三省堂 2007年
p.945 「―三景」の項目あり
※「1643(寛永20)林羅山の命名という。」との記載あり
△『総合百科事典ポプラディア 8』 ポプラ社 2011年
p.113 「日本三景」の項目あり
「日本を代表する景色が美しい場所として、江戸時代からよばれるようになった名所」との記載あり
×『都道府県別日本地理 [4]』 小松陽介/監修 ポプラ社 2010年
p.75他に「天橋立」の記載があり、「日本三景」の一つであるとの記載あり
2.インターネット上の情報を確認する
〇「天橋立観光協会-宮津・天橋立観光案内ウェブサイト」
※「歴史と文化」の「ようこそ日本三景 天橋立へ」の項目に以下の記載あり
「まず「日本三景」という発想が最初に見られるのは、林 羅山(はやし らざん)の子、林 春斎(はやし しゅんさい)が寛永二十年(1643)に、松島を天橋立・厳島とともに「三処奇観たり」と述べた『日本国事跡考』にあると言われています。
その後元禄二年(1689)に、福岡藩の儒学者 貝原益軒(かいばら えっけん:養生訓などで有名)が天橋立を旅行した記録『己巳紀行』(きしきこう)の中には「・・・そして府中から成相寺へ登ることになり、その坂の途中で、此坂中より天橋立、切戸の文珠、橋立東西の与謝の海、阿蘇の海目下に在て、其景言語ヲ絶ス、日本の三景の一とするも宜也、・・・」とあり、ここで初めて「日本三景」ということばが登場するのです。」
3.追加調査事項
〇『失われた景観』 長谷川成一/著 吉川弘文館 1996年
p.12-13 「林春斎の日本三景」の項目あり
※「もっとも早く日本三景を掲出したのは。「本朝通鑑」の編纂で名高い、儒学者の林春斎であろう。春斎の「日本国事跡考」(『松島町史』資料編二)によれば、松島、丹後天橋立。安芸厳島(広島市宮島町)が「三処奇観」として掲げられており。寛永二十年(一六四三)の段階で、このような日本三景観が形成されていたのである」との記載あり
p.15-16 「貝原益軒の「日本三景」論」の項目あり
※「天橋立が日本三景の一つとして定着をみるのは、元禄期(一六八八~一七〇三)頃ではないかと推察される。江戸前期の儒学者で偉大な博物学者として知られる貝原益軒(一六三〇~一七一四)が近畿地方の旅行に出たのは元禄二年(一六八九)閏正月のことであって、その旅行における見分を克明に記したのが「己巳紀行(きみきこう)」中の丹波丹後若狭紀行であった。(中略)貝原益軒の目にも天橋立は絶景として認められたのであった。しかも日本三景と明確に記している。(以下略)」との記載あり
※「己巳紀行」『新日本古典文学大系九八 東路記 己巳紀行 西遊記』からの引用あり
〇『新日本古典文学大系 98』 佐竹昭広/[ほか]編集委員 岩波書店 1991年
※『己巳紀行』の「丹波丹後若狭紀行」を収録する
p.114 「此坂中より、天橋立、切戸の文殊、橋立東西の与謝の海、阿蘇の海、目下に在りて、其景絶言語。日本の三景の一とするのも宜(むべ)也。」
p.121 「是より河を舟にて渡り、むかへに布引の松あり。(中略)日本三景の内、松嶋はいまだ見ず。安芸の厳島丹後の天橋立も尤美景也といへども、(以下略)」
〇『「日本三大」雑学236』 ナヴィインターナショナル/編著 幻冬舎 2003年
p.134-136 「寛永20年(1643年)に全国を歩き回った林春斉という文学人が「日本事跡考」という著書の中で3つの絶景を挙げたのが、日本三景の始まりとされる」との記載あり
〇『逆説の日本史 別巻3』 井沢元彦/著 小学館 2012年
p.12-23 「日本三景」の項目あり
〇『国史大辞典11』 国史大辞典編集委員会/編 吉川弘文館 1990年
p.172-173 「にほんさんけい 日本三景」の項目あり。
※(前略)おのおのはたとえば天橋立が風土記にみえているように早くからよく知られた名所であったが、三景と総称されるようになるのは、交通路が発達して地方遊覧が盛んとなった江戸時代のことであろう。(以下略)と記載あり。
△『日本の365日を愛おしむ』 本間美加子/著 東邦出版 2019年
p.236 「7月21日」の項目の中に、「日本三景の日」の項目あり
※「著書『日本国事跡考』の中で松島・天橋立・厳島を絶賛したことから、「日本三景の生みの親」ともいわれる江戸時代の儒学者・林春斎の誕生日にちなみ制定」との記載あり
×『井沢式新ニッポン風土記 西日本編』 井沢元彦/著 旅行読売出版社 2021年
p125-126 「古くから知られる名勝・天橋立」の項目あり
※「丹後国には、日本三景の一つに数えられる天橋立もある」との記載あり
×『数の話題事典』 上野富美夫/編 東京堂出版 1995年
p.27 「日本三景≪3つの景勝地≫」の項目あり
×『「七つの海」を知っていますか?』 伊宮伶/編 新典社 2002年
p.21 「日本三景(にほんさんけい)」の項目あり
×『和数考』 郡司正勝/著 白水社 1997年
×『数のつく日本語辞典』 森睦彦/著 東京堂出版 1999年
p.140 「日本三景」の項目あり
×『名数数詞辞典』 森睦彦/編 東京堂出版 1980年
p.37 「日本三景 にほんさんけい」の項目あり
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本語 (031 9版)
- 日本 (291 9版)
- 日本史 (210 9版)
- 参考資料
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- 世界大百科事典 21 平凡社 1988.4 031
- コンサイス日本地名事典 三省堂編修所/編 三省堂 2007.11 291.033 978-4-385-16051-1
- 失われた景観 長谷川成一/著 吉川弘文館 1996.2 291 4-642-07481-3
- 新日本古典文学大系 98 佐竹昭広/[ほか]編集委員 岩波書店 1991.4 918 4-00-240098-0
- 「日本三大」雑学236 ナヴィインターナショナル/編著 幻冬舎 2003.7 031.5 4-344-40392-4
- 逆説の日本史 別巻3 井沢元彦/著 小学館 2012.11 210.04 978-4-09-408770-3
- 国史大辞典 11 国史大辞典編集委員会/編 吉川弘文館 1990.9 210.033 4-642-00511-0
- 天橋立観光協会-宮津・天橋立観光案内ウェブサイト http://www.amanohashidate.jp/1/rekishi.html 2021/12/23
- キーワード
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- 天橋立
- 日本三景
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- その他
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000309511