レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20221005
- 登録日時
- 2023/01/13 00:30
- 更新日時
- 2023/04/05 18:09
- 管理番号
- 0401004852
- 質問
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解決
アントニオ猪木さんが、昭和49年3月13日に菊池市でプロレス興行をおこなっている。
雑誌には「農業高校跡地」と書かれているが、この農業高校について知りたい。
①跡地にあった農業高校の正式名称が知りたい。
②跡地とあるが、移転したのか。移転なら時期を知りたい。
②跡地の当時の住所表示および同じ場所の現在の住所表示を知りたい。
③跡地には、いつごろ何が建てられたのか知りたい。
- 回答
-
①農業高校の正式名称は、菊池市にあった「熊本県立菊池農蚕高等学校」と推測される。
②菊池農蚕高等学校は、昭和39年(1964年)4月に菊池西農業高校と統合し、熊本県立菊池農業高等学校と改称して、菊池郡泗水町吉富(現在は菊池市泗水町吉富)に移転している。
③昭和38年の菊池農蚕高等学校の住所:菊池市隈府1296
跡地の現在の住所:熊本県菊池市隈府1272-10、1273-1周辺
④以下の発行年の菊池市ゼンリン地図で確認できた建物
・昭和57年(1982年)
竜門ダム事務所(昭和45年建設)
菊池勤労者体育センター(昭和54年4月建設)
菊池保健所、ゲートボール場、公園(建設年不明)
・令和元年(2019年)
熊本県菊池地域振興局 保健福祉環境部・菊池保健所(建設年不明)
菊池市ふるさと創生市民広場(令和元年3月建設)
きくち観光物産館(平成4年3月開業)
- 回答プロセス
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『熊本日日新聞電子版』 昭和49年3月10日~3月14日までを調査したが、プロレス興行の記事なし。
『広報きくち』昭和49年1月~4月を調査したが、プロレス興行の記事なし。
「アントニオ猪木」「記録」のキーワードでインターネット検索。
個人の方のホームページに『アントニオ猪木全戦績』というまとめがあり。
その中に「1974.3.13 熊本・菊池市農高跡特設リング 6人タッグ・60分3本勝負」という記載があり。
「アントニオ猪木 闘いの記録」
https://kissatalk.web.fc2.com/inoki_senseki.html(2023/02/02最終確認)
『菊池市史』(1986年発行)を調査。下巻P.677に
「昭和39年(1964年)4月、菊池農蚕学校と菊池西農業高校が統合、熊本県立菊池農業高等学校と改称。-中略- 泗水町吉富に校地を定め、隈府より移転」とあり。
『菊農五十年誌』を調査。
P.7「第一部 沿革編 第三章 熊本県立菊池農業高等学校」に
「昭和三十九年 四月一日 熊本県条例第四三号により菊池農蚕・菊池西農業高等学校を統合し、熊本県立菊池農業高等学校となる。所在地を菊池郡泗水町大字吉富字亀の甲二五〇番地に定む。」とあり。
P.3「第一部 沿革編 第一章 旧熊本県立菊池農蚕高等学校」に
「明治三十六年 菊池郡北部農業学校創立。明治四一年 四月八日 菊池郡隈府町十一ケ村組合菊池農業学校と改称。大正一一年 四月一日 元組合立菊池農業学校校舎及び敷地を引継ぎ開校。」とあるが住所の記載なし。
P.5-6「第一部 沿革編 第二章 旧熊本県立菊池西農業高等学校」に
「菊池郡泗水村外四ケ村教育土木組合立合志西部高等小学校付設農業補習学校として発足。昭和二十八年 四月一日 熊本県立西農業高等学校と改称」とあるが、住所の記載なし。
『教育資料集№54 昭和38年』「学校一覧」を調査。
P.4 菊池農蚕高等学校の住所は「菊池市隈府1296」、菊池西農業高等学校の住所は「菊池郡泗水町豊永3490」と記載あり。
そこで、菊池市のゼンリン地図のうち、最も古い昭和57年(1982年)を調査したが、菊池市隈府1296という表示は確認できず。
1290番地、1297番地は確認できた。
『学校要覧 高校 昭和37年度』(1962年)を調査したところ、
「昭和37年度 菊池農蚕高等学校 学校経営案」P.9、10に「校地校舎平面図」があり。
この平面図と『ゼンリンの住宅地図・菊池市』昭和57年(1982年)を見比べると、ゼンリン地図の1290番地、1297番地あたりに、菊池農蚕高等学校があったことが推測できた。
また、『ゼンリン住宅地図熊本県菊池市東』(2019)の地図と比較すると、跡地の現在の住所は、熊本県菊池市隈府1272-10、1273-1周辺である。
また『ゼンリンの住宅地図・菊池市』昭和57年(1982年)によると、その当時の菊池農蚕高等学校の跡地と思われる場所には、「菊池保健所」、「竜門ダム事務所」、「菊池勤労者体育センター」、「ゲートボール場」、「公園」などが確認できた。
再び『菊池市史』下巻(1986年発行)を調査。
P.933 菊池勤労者体育センター:昭和54年4月開設
P.970 昭和45年 -中略- 竜門ダムを建設することが決まり、菊池市に九州地方建設局竜門ダム調査事務所が開設されました」
という記載を確認。
「菊池保健所」建設についての情報は確認できなかった。
当館所蔵の菊池市ゼンリン地図で最新の『ゼンリン住宅地図熊本県菊池市東』令和元年(2019年)を調査すると、跡地と思われる場所には、「熊本県菊池地域振興局 保健福祉環境部・菊池保健所」(熊本県菊池市隈府1272-10)や「菊池市ふるさと創生市民広場」、「きくち観光物産館」(菊池市隈府1273-1)等が確認できる。
『熊本日日新聞データベース』を調査。
キーワード「菊池市ふるさと創生市民広場」で検索すると、
熊本日日新聞 平成4年(1992年)3月30日朝刊23頁に
「菊池市がふるさと創生一億円を活用し、昭和六十三年から市中心部に建設を進めてきた「菊池市ふるさと創生市民広場」が完成、二十九日落成式があった。」の記載あり。
キーワード「きくち観光物産館」で検索すると、
熊本日日新聞 平成23年(2011年)11月18日朝刊 県北 に
「菊池市隈府のきくち観光物産館は1992年3月の開業から20年目を迎え、20日午前10時から隣接の市民広場で大感謝祭を開く。」の記載あり。
また、『広報きくち』2019年3月号のP.14には、
「完成!市民広場が生まれ変わります。」という記事あり。
広場が再整備され、令和元年(2019年)3月23日に完成記念式典が行われたと記載あり。
「菊池市ふるさと創生市民広場」HP
https://kikuchikanko.ne.jp/shibafu(2023/02/02最終確認)
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 菊池市史 下巻,菊池市史編さん委員会/編,菊池市,1986.7 (P.677 昭和39年菊池農蚕学校と菊池西農業高校が統合、移転の記載あり。|0140613340|C/210E/キ/2)
- 菊農五十年誌,新美 政喜/編,菊池農業高等学校(熊本県立),1974.3 (P.3~ 沿革の年表あり。P.61~熊本県立菊池農蚕高等学校|0110595709|C/376.4/ニ/)
- 広報 きくち 昭和48年?昭和51年 第160号?第204号,菊池市/編,菊池市,1973-1976 (記載なし|0113840706|D/318/E/キ)
- 学校一覧 昭和38年度,熊本県教育庁施設調査課/編,熊本県教育庁,1963 (P.4 菊池農蚕高等学校、菊池西農業高等学校の住所記載あり。|0111343414|D/370.5/キ/)
- 〔学校要覧 高校〕 昭和37年度,1962年 (『昭和37年度 菊池農蚕高等学校 学校経営案』P.9、10「校地校舎平面図」あり。|0110884111|C/374.14/カ/)
- ゼンリンの住宅地図・菊池市 1982,善隣出版社/編,善隣出版社,1982年 (p.38|0110604071|C/29038/E/セ)
- ゼンリン住宅地図熊本県菊池市東,ゼンリン,2019.6 (p.69|0140865718|C/290.38E/ゼ/19)
- 広報 きくち 令和元年 第190号-第201号,菊池市役所市長公室/編集,菊池市役所市長公室,2019 (第192号(3月号)P.14 ふるさと創生市民広場完成の記事あり。|0140871567|D/318.05E/キ/19)
- キーワード
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- アントニオ猪木
- 菊池農蚕高等学校
- 菊池西農業高等学校
- 菊池農業高等学校
- 菊池市ふるさと創生市民広場
- プロレス
- きくち観光物産館
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000327275