レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023/05/23
- 登録日時
- 2023/05/26 00:30
- 更新日時
- 2023/05/26 13:03
- 管理番号
- R1001779
- 質問
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解決
高崎市立図書館刊行『市史のひろば 第3号』の表紙の絵図を見て、過去に見た中山道のルートと違うように見えるので、この表紙の絵図のルート(26里~27里)を知りたい。
- 回答
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『高崎の地名』によると、江戸時代のはじめ頃の中山道は“赤坂-本町-椿町-九蔵町-北通町-通町-砂賀町”というルートで、その後1602(慶長7)年には、“本町-田町-連雀町-新町-南町”という、一つ西側のルートに変わったようです。
また、『高崎市史 下巻』によると、倉賀野までのルートは“佐野村-大字中居-小字砂子-鍛治屋敷-下ノ城-倉賀野永泉寺”となっていました。
以下、当館所蔵の参考資料になります。
<図書>
高崎市史 下巻
第八章交通運輸 第二節維新以前 第一道路
三、中山道 p.3
“其通路ハ鎌倉街道ト同ジク二ノ宮通リ、今ノ通町ヲ本通リトス”
“是ヨリ佐野村、大字中居、小字砂子、鍛治屋敷ヲ経テ下ノ城、東方倉賀野永泉寺前ニ出ズ”
“慶長九年酒井家次城主トナリシ時、今日ノ如ク元町三丁目ヨリ矩形トナシ、九蔵町ニ出ズ”
高崎市史 第3巻
高崎志 川野辺寛著 p.215-284
2巻
九蔵町 p.242
一里塚
“裏町通町通リ、西側人家ノ裏ニアリ”
“是昔ノ本道也”
通町 p.272
“慶長ノ頃中山道ノ往還ナル故ニ通町ト云、城下ノ本道也”
更正高崎旧事記 土屋老平著 p.285-626
通町 p.462-464
“通町ハ旧時中山道ノ往還ニシテ”
“又本町ヨリ往還今ノ椿町ヨリ法華寺ノ前ニ折タリ”
角川日本地名大辞典 10 群馬県 p.646-647
通町
上記『高崎志』より、町名由来を紹介している。
“なお高崎城下の中山道は、当町成立時には本町・椿町を通って九蔵町で右折し、町内を南下していたが、慶長7年頃には田町・連雀町・新町などの1筋東へ移された。”
高崎の地名 p.47-48
通町
次のように記述あり。
“江戸時代のはじめ(略)赤坂-本町-椿町-九蔵町-北通町-通町-砂賀町という道筋を進んだ。”
“慶長七年(一六〇二)には、本町-田町-連雀町-新(あら)町-南町と一筋に市の道へ移された。”
田町(p.29-30)、北通町(p.47-48)にも同様の記述あり。
上州中山道の地形散歩
4.高崎宿 p37-41
図2-4-1 高崎宿周辺の地形図 p.37
“初期の中山道ルート”の記載あり。
中山道高崎宿史
高崎城時代の大通り p.18-20
次のように記述あり。
“中山道は本町から東に出て椿町、九蔵町を通り、通町に入るものである。”
“酒井家次城主(慶長九年-元和二年)の時代、本町を矩形として本通りと定め、九蔵町で右におれて、田町、連雀町、新町から新喜町に至る道を正道とした。”
九蔵が開いた九蔵町 p.90-92
『高崎繁昌記』の九蔵町記事として、次の記述あり。
“高崎誌云本町ノ東小路椿町ト云昔ハ此ノ小路ヨリ通町ヲ本道トシテ倉賀野ヘノ往還也。”
<Web>
前橋及高崎近傍17号(共17面) 16コマ目
(https://www1.library.pref.gunma.jp/winj/opac/switch-detail-iccap.do?bibid=1101492384)
高崎
“上中居”の下に“鍛治屋敷”の記載あり。
- 回答プロセス
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当館レファレンス事例『倉賀野の一里塚と、その前後の一里塚について資料はあるか。』をご覧になったとのこと。
『群馬県歴史の道調査報告書』は閲覧済みとのこと。
『市史のひろば 第3号』の表紙に掲載されている絵図を確認。(https://lib.city.takasaki.gunma.jp/viewer/info.html?id=1111&g=20)
“上野国群馬郡高崎通町絵図(高崎市立中央図書館蔵)”と掲載されている。
この絵図の上部に次のように記載あり。
“通町ハ慶長ノ頃中山道ノ往還ナル故通町トイフ”
“城下ノ本道也”
市史担当より次の資料をご紹介いただく。
高崎市史 第3巻 p.242,463
高崎市史 下巻 3p
前橋及高崎近傍17号(共17面) 16コマ目
以下、確認済み資料
上州中山道の地形散歩 熊原康博著(ブックレット群馬大学 10) 上毛新聞社 2013.3
4.高崎宿 p37-41
図2-4-1 高崎宿周辺の地形図 p.37
“初期の中山道ルート”の記載あり。
5.豊岡 p.41-45
図2-5-1 豊岡周辺の地形図 p.42
“江戸時代以前の道(推定)”記載あり。
これ以降の複数の図にも同様の記載あり。
高崎漫歩 土屋喜英著 高崎地方史料普及会 1989.3
高崎漫歩 続 土屋喜英著 高崎地方史料普及会 2004.6
中山道 群馬県教育委員会文化財保護課編(群馬県歴史の道調査報告書 第11集) 群馬県教育委員会 1982.3
3 中山道の現状と文化財
“慶長三年に高崎城が箕輪から移って中山道が整備され一里塚が築かれた時には、中山道は通町をとおっていた。”と記述あり。(p.60)
高崎産業経済史 根岸省三編 高崎市社会教育振興会 1964
道路(中山道ほか) p.27-30
“それまでは椿町、通町が本通りであった。”と記述あり。(p.29)
中山道 (みやま文庫 36)みやま文庫 1970
高崎宿 近藤章著 p.259-277
中山道 藤島亥治郎著 東京堂出版 1997.9
ちょんまげ時代の高崎 堤克政著 あさを社 2009.7
第43話 城下・宿場・市場町 p.90-91
写真“変更前の中山道(通町付近)”あり。
- 事前調査事項
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『上州中山道の地形散歩 』第三章:一里塚から初期中山道のルートを考える、の図(p.78)にある、玉村を通ったルートの続きとして探している。
また、『高崎の散歩道 第?集』の吉永先生の文でも、そのルートについて触れられていた。
- NDC
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- 交通史.事情 (682 10版)
- 参考資料
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熊原康博 著 , 熊原, 康博. 上州中山道の地形散歩. 上毛新聞社事業局出版部, 2013. (ブックレット群馬大学 ; 10)
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I024362718-00 , ISBN 9784863520851 (当館資料番号 117249243) -
高崎市 編纂 , 高崎市. 高崎市史 下. 国書刊行会, 1981.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I002590658-00 (当館資料番号 111023214) -
高崎市 編纂. 高崎市史 下巻. 高崎市, 1927.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000008522977-00 (当館資料番号 117294280) -
高崎市史編さん委員会 編 , 高崎市. 高崎市史 第3巻. 高崎市, 1968.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I002631542-00 (当館資料番号 117294397) -
「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編纂. 角川日本地名大辞典 10 (群馬県). 角川書店, 1988.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001920928-00 , ISBN 4040011007 (当館資料番号 117306308) -
田島桂男 著 , 田島, 桂男. 高崎の地名 : たかさき町知るべ. ラジオ高崎, 2009.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I080686159-00 , ISBN 9784990470203 (当館資料番号 117211375) -
根岸省三 編 , 根岸省三. 中山道高崎宿史 : 本町・九蔵町・田町・連雀町・新町・八島町. 高崎市社会教育振興会, 1974.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I080728203-00 (当館資料番号 117303180) - 高崎市立図書館HP『市史のひろば』 https://lib.city.takasaki.gunma.jp/viewer/info.html?id=1111&g=20 2023/5/26
- 前橋及高崎近傍17号(共17面) 16コマ目 https://www1.library.pref.gunma.jp/winj/opac/switch-detail-iccap.do?bibid=1101492384 2023/5/23
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熊原康博 著 , 熊原, 康博. 上州中山道の地形散歩. 上毛新聞社事業局出版部, 2013. (ブックレット群馬大学 ; 10)
- キーワード
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- 中山道
- 高崎市-歴史
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000333560