レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014年6月13日
- 登録日時
- 2014/08/06 15:59
- 更新日時
- 2014/09/04 16:51
- 管理番号
- 岩手-190
- 質問
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解決
南部信直の二女で秋田実季の弟秋田英季に嫁いだ檜山御前について、記載されている資料はあるか。
- 回答
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檜山御前は南部家の系図が記された資料等に、信直の「二女」「養女」「三女」とまちまちな表記が見られる。しかし「北信愛の娘」で「信直の養女になった」というところはいずれも共通している。
檜山御前について、記載がある資料は次のとおり。(資料により、秋田英季は実季、季隆と表記)
『南部史要』
⇒p60「第二十六世 信直公」の章に「公一男一女一養女あり、(中略)養女は北信愛の女にして秋田実季に嫁す。」
『津軽南部の抗争』
⇒p278「南部氏系図」信直の子に「女 檜山城主秋田忠次郎季隆妻」
『剣吉城主北信愛』
⇒p1「南部氏略系図」信直の子に「女(檜山御前)」
⇒p3「北氏系図」信愛の子に「女 信直養女として秋田英秀(季)へ嫁すとも」
⇒p189「年表」に文禄四年(1595)「夏、信愛娘(信直三女とも)秋田英季と婚約(檜山御前)」
『戦国大名南部信直』
⇒見開き(ページ付けなし)信直の系図に信直の子として「桧山御前(養女)」
『南部家の女性たち』
⇒「南部家と婚姻関係のあった主要な大名」の中に「嫁いだ姫・桧山御前(蓮生院)、父親・26代信直、嫁ぎ先・秋田季隆」
『花巻市史 資料篇2』
⇒p119~121「秋田城介ノ事」の中に「(前略)南部信直公ト争戦アリ後和睦信直公姫君ヲ以テ嫡男忠次郎ノ内室ト定ム(中略)季隆卒無嗣内室ハ三戸ニ帰リ檜山御前ト唱フ」
『三戸町史 上』
⇒p125~128「檜山御前」の欄に「英季に嫁ぎ、死後離縁となり三戸に帰ってきたことになっている。しかしその後の調査で、英季が檜山御前より後に亡くなっていること。三戸町の大泉寺に葬られたが後に大泉寺は盛岡に移り、その跡に建てられた長栄寺に、檜山御前の墓と言われる五輪塔がある」という記述がある。
『三戸町史 中』
⇒p.96~98檜山御前五輪塔についての記述あり。
⇒p.253~254三戸町の大泉寺の跡にできた「慶誉山長栄寺」について記載あり。
- 回答プロセス
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・南部家、信直関係資料を調査。
・当館郷土資料関係書架 210~ブラウジング。
・『三戸町史』を通覧し、記述を確認。
- 事前調査事項
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盛岡の大泉寺に葬られている。
- NDC
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- 東北地方 (212 9版)
- 個人伝記 (289 9版)
- 参考資料
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- 『南部史要』旧盛岡藩士桑田∥出版 1998年 (http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I036129337-00)
- 『津軽南部の抗争』森 嘉兵衛∥著 人物往来社 1967年 (http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001097406-00)
- 『剣吉城主北信愛』金沢 啓三郎∥著・出版 1995年 (http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002553944-00)
- 『戦国大名南部信直』高橋 富雄∥著 南部藩志会∥出版 1990年 (http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000008086523-00)
- 『南部家の女性たち』盛岡市中央公民館∥編・出版 1992年 (http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I036187971-00)
- 『花巻市史 資料篇2』熊谷 章一∥著 花巻市教育委員会∥出版 1977年 (http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000003041891-00)
- 『三戸町史 上』三戸町史編集委員会∥編 三戸町∥出版 1997年 (http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I025179383-00)
- 『三戸町史 中』三戸町史編集委員会∥編 三戸町∥出版 1997年 (http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I001150879-00)
- キーワード
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- 檜山御前
- 南部信直
- 北信愛
- 秋田季隆(英季)
- 檜山城主
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000157774