レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023/8/20
- 登録日時
- 2023/09/17 00:30
- 更新日時
- 2023/09/17 00:30
- 提供館
- 宮城県図書館 (2110032)
- 管理番号
- MYG-REF-230192
- 質問
-
解決
戦前期に活躍した宮城県出身の女性画家・大沼かねよについて、プロフィールを知りたい。
- 回答
-
下記資料に記載がありました。※【 】内は当館請求記号です。
資料1 仙台市史編さん委員会編『仙台市史』特別編3, 仙台市, 1996年【K225/セ1-13/24】
pp.426-433「III 近代・現代」-「一 仙台の近代絵画・彫刻」-「7 昭和の洋画家/戦前の具象絵画」の項
pp.429-433にプロフィールや作品、入賞歴等も含めた詳細な記述がありました。
p.430に本人の肖像写真(白黒)、p.432に作品「三人」のカラー写真の掲載がありました。
プロフィールに関しての記載を抜粋します。
p.429 「2 大沼かねよ」の項
「大沼かねよは明治三十八年(一九〇五)五月八日、宮城県栗原郡岩ヶ崎町(現在は栗原郡栗駒町岩ヶ崎)字六日町一一四番地に生まれた。父惣治、母まつの一人娘である。父は下駄の製作と販売をしていた。仙台の女子師範学校を大正十一年(一九二二)に卒業し、東京女子師範学校図画専修科に進んだ。昭和三年(一九二八)に同科を首席で卒業後、岩手県立水沢高等女学校教諭となったが、翌四年五月からは東京の浅草正徳小学校に勤務し、そのかたわら洋画家石川寅治に師事した。」
p.430
「大沼と慶応大学医学部に在学中の金子は昭和七年(一九三二)三月十九日に結婚。金子が大沼姓をついだ。東京市外杉並天沼六八に住み、三月末に吉彌は卒業。その後、東京市品川区五反田二の三〇七に大沼泌尿器科医院を開業し、かねよは医院の裏にあたる東急池上線高架下の「労働者街のガード下」に設けたアトリエで製作に励んだ。」
p.431
「昭和十一年(一九三六)に吉彌が病気で亡くなり、翌年にはかねよも病気で入院、退院後は一時大磯に転地した。」
p.432
「昭和十四年(一九三九)七月十二日に大沼かねよが亡くなると(後略)」
資料2 大林昭雄著『仙台画人伝』(大林昭雄著作集 ; 第1巻), ギャラリ-大林, 1984年【K720/オ1】
pp.253-254にプロフィールや作品、入賞歴等の記載がありました。また、p.254には作品「三人」の白黒写真の掲載がありました。
資料3 成瀬忠行著『宮城洋画人研究 : 明治・大正・昭和物故作家の歩み』成瀬忠行, 1985年【K723/ナ2】
p.49にプロフィールや作品、入賞歴等の記載と、作品「三人」の白黒写真の掲載がありました。
なお、資料2、資料3については、生年月日の記載が明治38年5月2日となっております。
資料4 栗駒町史談会編『郷土の先人』栗駒町史談会, 1977年【K280/ク1】
pp.29-30にプロフィールや作品についての記載がありました。生年月日の記載が明治38年5月9日となっております。
また、p.30には「大沼かねよ油絵」の白黒写真が掲載されています。
資料5 『Tohoku/Tokyo 1925-1945 : 東北の画家たち』読売新聞社, 2000年【708.7/トウ2000.0】
p.44に作品「シューズクリーニングショップ」のカラー写真、p.114に略歴、主な個展・展覧会、作家・作品についての記載がありました。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 絵画 (720 9版)
- 参考資料
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- 仙台市史編さん委員会/編. 仙台市史 特別編3. 仙台市, 1996.3【K225/セ1-13/24】:
- 大林 昭雄/著. 仙台画人伝. ギャラリ-大林, 1984.6【K720/オ1】:
- 成瀬忠行/著. 宮城洋画人研究. 成瀬忠行, 1985【K723/ナ2】:
- 栗駒町史談会/編. 郷土の先人. 栗駒町史談会, 1977【K280/ク1】:
- . Tohoku/Tokyo 1925?1945. 読売新聞社, 2000【708.7/トウ2000.0】:
- キーワード
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- 大沼, かねよ(オオヌマ, カネヨ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000338795