レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017年7月14日
- 登録日時
- 2018/05/19 11:35
- 更新日時
- 2020/01/07 16:14
- 管理番号
- 島根郷2017-07-003
- 質問
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解決
浜田藩において心学が普及していたか知りたい。
- 回答
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当館所蔵資料より、下記の資料を紹介し回答。
資料1:p316-318「庶民の教化」の項目に記述あり。浜田藩内では、庶民の教化の場は寺社・寺子屋・塾程度であった。そのうち、竹迫神正寺には浜田藩の重臣・都筑唯重の嫡子で早世した重長が葬られており、これを嘆いた家臣たちが命日に集まり仏法を聞いた。これを「尽性舎」と名付けて庶民の教化の場となった。文化9年(1812)に、石門心学の重鎮である大島有隣が津和野から浜田にかけて、儒書講釈・古今史話などを説教して歩いていることから、この頃には浜田でも広く心学による教化活動が行われていた、としている。
資料2:「学問と美術工芸」よりp824に浜田藩についての記述あり。「浜田藩の国学の祖は松平新清元麿(~一七三九)であり、都筑唯重(金丸翁)(~一七五四)は神道・儒教・仏教を融合した心学を説いたが、神や日本人について国学的な意識を持っていた」とあり。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (291 8版)
- 中国地方 (217 8版)
- 日本思想 (121 8版)
- 参考資料
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【資料1】浜田市誌編纂委員会 編 , 浜田市誌編纂委員会. 浜田市誌 上巻. 浜田市, 1973.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I069363041-00 (当館請求記号 092.96/46/1※貸出禁止資料) -
【資料2】島根県 編 , 島根県. 新修島根県史 1. 臨川書店, 1984.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I069447896-00 (当館請求記号 092/790/1※貸出禁止資料)
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【資料1】浜田市誌編纂委員会 編 , 浜田市誌編纂委員会. 浜田市誌 上巻. 浜田市, 1973.
- キーワード
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- 石門心学
- 石田梅岩
- 島根県
- 浜田藩
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000235739