レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022年07月03日
- 登録日時
- 2022/07/03 15:58
- 更新日時
- 2022/11/10 12:02
- 管理番号
- 名古屋市熱-2022-001
- 質問
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解決
熱田神宮の境内にある「二十五丁橋」について知りたい。
- 回答
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二十五枚の板石で造られた太鼓橋で、名古屋で最古の石橋とされています。下馬橋とも呼ばれていました。
造年代は明らかではありませんが、享禄年間(1528年-1532年)にはあったとされています。
当時は海蔵門の南の本宮を囲むような川(堀)に架かっていたようです。
江戸前期頃に木板橋から石橋に変更されました。
昭和の境内拡張により解体後、昭和30年に旧材を使用して現在の位置に復元されました。
- 回答プロセス
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『名古屋市熱田区誌』で概要が以下のようにわかりました。
*6章「熱田の歴史と文化」p.87
「正面参道のほぼ中央から、南神池よりにかかった石造りの太鼓橋で、二十五枚の板石が半円を描いてかかっている。建造年代は詳らかではないが、『享禄の古図』にも既に描かれている。
昭和十二年、整備のため、橋を撤去されたままになっていたが、同三十年に旧材を使用して、元の位置からほぼ西南のいまの位置に復元された。名古屋甚句には、西行法師がこの橋に腰をかけたと唄われている。」
名古屋市図書館ホームページ内の「なごやコレクション」で検索すると、
下記の資料があることがわかりました。写真も2種類見つかりました。
http://e-library2.gprime.jp/lib_city_nagoya/da/result_s?q=%E4%BA%8C%E5%8D%81%E4%BA%94%E4%B8%81%E6%A9%8B【2022年7月31日最終確認】
『社報あつた』№269(令和3年3月)内の下記の記事に詳細が載っています。
p.16~「熱田神宮の二十五丁橋について」野村辰美
「『厚覧草』(1678)によれば、江戸前期ごろに木板橋から石橋に変更されたが、渡るにあたっては東に渡した板を通行した」
昭和14年に解体保存。その後復元要請により、現在の位置に復元された。昭和29年10月18日着工、30年4月1日渡初式とのことでした。
また下記の資料にも二十五丁橋(下馬橋)についての記載があります。
『張州雑志 第4巻』 愛知県郷土資料刊行会
p.210の図、p.246-247
「石梁」
海蔵門の南約五十間計にあり 俗に下馬橋と称し積石二十五枚のため二十五挺橋という。
(張州志では石梁は石工大和が造る所也。) 此の橋は古は石橋ではなく、享禄の図は木の橋だった。
p.248付箋3
花園院宝徳年中下馬橋の祝に曰く、熱田大神宮の南の下馬の橋御祝として宝物そのほかを御馬御奉る…。
『熱田神宮史料 [第2-2](年中行事編下)』 熱田神宮宮庁
p.159「熱田祭事略」(巻2)下馬橋あり(馬にのったまま)
p.169「熱田祭事略」下馬橋の絵あり
p.190「熱田祭事略」付録 同上
p.423「熱田祭奠年中行事図会」 下馬橋 絵
『神道大系 神社編 19』 神道大系編纂会
「熱田祭禮圖」p.192,p.205,p.221,p.229
『尾張名所図会 上巻』 愛知県郷土資料刊行会
巻3 p.362
「下馬橋」
御手洗川に渡せる石橋なり。俗に二十五挺橋といふ。是より南社家町を御所の前、御所の内といふ。凡(おおよそ) 帝王の皇居、或は親王方・大臣家・将軍家などの地ならでは、御所とは称し難し。此所古き地名なれば、大宮司の所縁にて頼朝将軍寓居ありし地なればしか呼ぶか、また【続日本紀】の大寶二年、太上天皇三河國へ御幸の條(くだり)に、尾張國に行宮(あんぐう)を造りし由記せし 皇居の跡か、今定かならず。又熱田の内に大瀬古といへる地名のあるも、此 御幸の時役夫をよせたる地名にてもあらんか、猶考ふべし。
図
p.294-5 熱田大宮全図 其一
p.295 右下に下馬橋あり
『史跡あつた』 泰文堂
p.164の古地図に下馬橋鳥居が描かれており、そのすぐ下に堀にかかる橋が見えます。
『熱田神宮昭和造営誌』 熱田神宮宮庁
p.189-190、p.213「工事一覧表」に二十五丁橋の記載があります。
『朝日文左衛門の参詣日記 | 二つの社と二つの渡し』 ゆいぽおと
第1章 熱田神宮のこと
「七 元禄の「熱田神宮寺」再建
p.43
熱田社享禄年中之古図(尾張名所図会 森高雅)
もともとは「熱田社山系曼陀羅図」→内藤東甫が模写し「張州雑誌」に「享禄年中熱田古図」として掲載した。
のちに森高雅が線描模写した。
「図の中央に見える下馬橋(太鼓橋)は…二十五丁橋で、二十五枚の板石で造られている。
p57-58
「俗に二十五丁橋という、はじめは土橋なりしが…」と二十五丁橋近くでの噂話を記している。
「…二十五枚の石を組んで拵えた名古屋で最古の石橋とされるためで、もとは本宮と神宮寺を囲む御手洗川に架かっていた太鼓橋で、この前で下馬することからが下馬橋が正しい呼称らしい。」
- 事前調査事項
- NDC
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- 神道 (170)
- 日本 (291)
- 参考資料
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熱田区制五十周年記念誌編集部会 編集 , 名古屋市. 名古屋市熱田区誌. 熱田区制五十周年記念事業実行委員会, 1987.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I071648503-00 -
岡田啓 撰述 , 小田切春江 画 , 岡田, 啓, 1781-1860 , 小田切, 春江, 1810-1888. 尾張名所図会 附録. 愛知県郷土資料刊行会, 1971.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001222869-00 -
内藤東甫 著 , 内藤, 東甫, 1728-1788. 張州雑志 第4巻. 愛知県郷土資料刊行会, 1975.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001230891-00 -
熱田神宮宮庁/編 , 熱田神宮. 熱田神宮史料 [第2-2]. 熱田神宮宮庁, 1975-00.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I110753665-00 -
神道大系編纂会 編 , 小島, 鉦作, 1901-1996 , 井後, 政晏, 1947-. 神道大系 神社編 19. 神道大系編纂会, 1990.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002049884-00 -
熱田研究よもぎの会/著 , 熱田研究よもぎの会 , 熱田研究よもぎの会. 史跡あつた. 泰文堂, 1963-00.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I062430511-00 -
熱田神宮 (名古屋市). 熱田神宮昭和造営誌. 熱田神宮宮庁, 1966.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001084281-00 -
大下武 著 , 大下, 武, 1942-. 朝日文左衛門の参詣日記 : 二つの社と二つの渡し. ゆいぽおと, 2018.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I029267093-00 , ISBN 9784877584733
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熱田区制五十周年記念誌編集部会 編集 , 名古屋市. 名古屋市熱田区誌. 熱田区制五十周年記念事業実行委員会, 1987.
- キーワード
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- 熱田神宮
- 二十五丁橋
- 下馬橋
- 石橋
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000318106