レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023/02/13
- 登録日時
- 2023/03/09 00:31
- 更新日時
- 2023/03/09 00:31
- 管理番号
- 6001059840
- 質問
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解決
摂津国八十八ヶ所について、開基当初の札所を知りたい。
- 回答
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まず、摂津国八十八ヶ所の開基がいつであったかは次の資料に記載がある。
■『摂津国八十八ケ所めぐり:めぐり方&地図付き』(摂津国八十八ケ所霊場会/編 朱鷺書房 2018.12)
「はじめに」に「摂津の国にも、江戸中期安永年間、真田山観智院(第16番札所)在住の月海上人によって開かれた摂津国八十八ヶ所霊場があり、殷賑を極めていました。不幸な戦中戦後の荒廃を経て、六大院(第14番札所)前住職・小原孝澄大僧正の積年の念願が実を結び、ようやく昭和55年1月、全札所寺院の結集がなり、摂津国八十八ヶ所再興の第一歩を踏み出し、巡拝の方々も日々その数を増しつつあります。」(p.2-3)
■『摂津国八十八所巡礼:摂津国八十八ヶ所霊場案内記』(摂津国八十八所霊場会/編著 朱鷺書房 1987.12)
「はしがき」に上記『摂津国八十八ケ所めぐり めぐり方&地図付き』とほぼ同一の記載がある。(p.3-4)
■『全国霊場巡拝事典』(大法輪閣編集部/編 大法輪閣 2005.2)
p.259-263に「摂津国八十八ヵ所霊場」があり、次の記載がある。
・「江戸中期の安永年間(1772~81)に大阪真田山観智院(第16番観音寺)在住の月海上人によって開創された『摂津国八十八ヵ所霊場』は、第二次世界大戦前は毎月21日には数万の善男善女が巡拝し、門前常に市をなすの盛大さであった。しかし不幸な先の大戦で消失した札所寺院が続出し、加えて敗戦による人心の荒廃で巡拝者も激減し、霊場の存在すら忘れ去られようとしていた。」(p.260)
・「古誌によると、大阪大師巡りは寛政文化年間(1789-1818)ごろは特に盛んだった様子で、国分寺には安永8年(1779)10月に建立の『摂津八十八ヶ所』の石碑があり、また六大院門前には安政5年(1858)3月木食祐伝・祐範両上人建立の『四国八十八ヶ所霊場の石碑』が今も建っていて、永い霊場の由緒を物語っている。」(p.260-261)
p.261に案内書として『摂津国八十八所巡礼』(朱鷺書房)が挙げられている。
■『全国霊場大事典:全国霊場巡礼・巡拝案内』(『全国霊場大事典』編纂室/編 六月書房 2000.11)
p.655-659に「摂津国八十八ヶ所霊場」があり、次の記載がある。
・「「摂津国八十八ヶ所霊場」は、安永年間(一七七二~八一)の開創と伝える。第二次世界大戦の前までは多数の巡礼者で賑わったということだが、空襲により伽藍を焼失した寺院も多く、また、終戦後しばらくは人心荒廃し、巡礼者の姿も絶えてしまったという。」(p.655-656)
p.656に参考図書として『摂津国八十八所巡礼』(朱鷺書房)が挙げられている。
●柴谷宗叔「写し霊場と新規霊場開設の実態について」『密教文化』<221>(密教研究会 2008)p.73-97,127
※J-STAGEで閲覧可能。(2023/2/13現在)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jeb1947/2008/221/2008_221_73/_article/-char/ja/
「第一節 霊場開設の時期」のp.75「みんなが回れるようにという願いをかなえるために考え出されたのが、写し霊場である。四国あるいは西国に模した霊場を近くに作ってしまおうというものである。」として、「摂津国八十八ヶ所(安永六年=一七七七)」と記載がある。
■『熊野信仰史研究と庶民信仰史論』(豊島修/著 清文堂出版 2005.4)
「第八章 摂津地域の霊場寺院と庶民信仰 第三節 霊場寺院としての若王子釈迦院と厄神信仰」(p.176-180)に「釈迦院が摂津地域の霊場寺院あるいは庶民信仰寺院としての性格をもったのは、近世以降である。伝承によれば、釈迦院は一七七二~八一年(安永年間)に、真田山観智院在住の月海上人によって開かれた『津国八十八ヵ所霊場』の一つであったといわれ、同霊場の巡礼・巡拝は殷賑を極めていた。」(p.176-177)とある。
霊場の一つであったといわれているという記載のところに註の「(27)」があり、註(27)には、「『摂津国八十八ヶ所霊場案内記』古寺顕彰会、一九八二年。釈迦院住職赤松快龍師の教示による。」とある。(p.183)
※『摂津国八十八ヶ所霊場案内記』は大阪府立図書館では所蔵がなく未確認。
これらの資料の記載から、開基当初の札所を確認するには、戦前における摂津国八十八ヶ所を確認すればよいとわかった。
戦前における摂津国八十八ヶ所に関する資料は次のものがあった。
※すべて中之島図書館の古典籍資料。
■『難波巡覧記』(春樹編 藤田幸兵衛 天保8)
十九丁ウ-二十三丁ウに「津国八十八箇所」があり、八十八まである。
■『難波巡覧記』(春樹 河内屋太助等 天保12)
十九丁ウ-二十三丁ウに「津国八十八箇所」があり、八十八まである。
■『攝津一国八十八ヶ所道しるべ』(小倉谷利助等 明12)
※1枚物。
「摂津一國八十八ヶ所」とあり、簡単な地図の上に寺の名前が記載されている。
「明治十二年四月」とあるので、戦前のものと思われるが、記載されているお寺の数は八十八に満たないように思われる。
[事例作成日:2023年2月13日]
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 仏会 (186 10版)
- 社会.家庭生活の習俗 (384 10版)
- 参考資料
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- 摂津国八十八ケ所めぐり 摂津国八十八ケ所霊場会‖編 朱鷺書房 2018.12 (2-3)
- 摂津国八十八所巡礼 摂津国八十八所霊場会∥編著 朱鷺書房 1987.12 (3-4)
- 全国霊場巡拝事典 改訂新版 大法輪閣編集部∥編 大法輪閣 2005.2 (259-263)
- 全国霊場大事典 『全国霊場大事典』編纂室∥編 六月書房 2000.11 (655-659)
- 熊野信仰史研究と庶民信仰史論 豊島/修∥著 清文堂出版 2005.4 (176-177、183)
- https://www.jstage.jst.go.jp/article/jeb1947/2008/221/2008_221_73/_article/-char/ja/ (柴谷宗叔「写し霊場と新規霊場開設の実態について」『密教文化』<221>(密教研究会 2008)(2023/2/13現在))
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 大阪,地名・地域
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000330039