以下の資料に関連の記述を確認しました。
・『いまいち市史 通史編 2』(今市市史編さん委員会/編 今市市役所 1995)
p.120 「第二章 日光山と地方支配の展開 第一節 日光山支配組織の成立と展開 二 日光山の支配組織 2 日光御殿役所の組織と職責 楽人と宮仕」の項に、楽人とは、祭礼・法会の舞楽演奏に奉仕する者とあり、日光山の楽人は、寛永十四年(1637)に創設されたと記載があります。
音楽相伝は、伝統的に身分格式相応の者に限られていたため、日光山側では、天海が衆徒九人と社家十三人を選び、楽器役付を定めたと記述があります。
また、寛永十八年の山中屋敷割の際には、社家の十三人へは屋敷が与えられたと記述があります。
・『日光市史 中巻(近世)』(日光市史編さん委員会/編 日光市 1979)
p.322 「第二節 東照宮と輪王寺・二荒山神社 楽人」の項に、楽を伝えたのは京都に住む奈良座の楽人で音楽相伝はたしかな俗姓の者と記述があり、衆徒・家社に楽器役付を定めたとあります。寛政頃と慶応年間、それぞれ楽人の氏名と管種別について記録・記載があります。
・『近世下野の生業・文化と領主支配』(下野近世史研究会/編 岩田書院 2018)
p.225-245 「日光山と雅楽 京都・日光楽人の演奏演舞」(武末広美/著)が収録されています。
・『栃木県史 史料編 近世6』(栃木県史編さん委員会/編 栃木県 1977)
p.107 「第一章 領知と支配 第二節 祭礼と夫役 一 祭祀者 三一 宝暦十年九月 日光楽人の増扶持につき覚」の項に、米や金を増して支給され、与えられた楽人の名が記載されています。
・『大日光 30号』(日光東照宮/編 日光東照宮 1966)
p.44 「イザベラ・バードと金谷ホテル「侍屋敷」」(武藤信義/著)の項に、金谷家は代々楽人として日光東照宮に仕えていたと記述があります。
p.58 「日光楽職小史」(池上宗義/著)「二 屋敷」の項に、寛永十八年の日光山中屋敷割の際、土地・屋敷を頂戴したと記述があります。